気持になってしまいました。するとこの時、けたたましく卓上電話のベルが鳴りひびいたのです。出てみると、聞き覚えのない男の声が遠くで、併しはっきりと聞こえていました。「……清水君。清水君! 君は明日スペエドのジャックをひきますよ」とね。僕は腹が立ったので、「誰だ! 縁起でもねえ!」と怒鳴りつけてやったのですが電話はその儘切れてしまいました……かさねがさねの薄気味の悪い出来事に、僕は一層気を滅入らしてしまったのですが、併し勿論そんな電話なぞは誰かの悪洒落、と思えば思えないこともなかったし、それよりか先刻の胡の顔の方が遙かにまして僕の心をひきつかんでいたので、ついそれっきり忘れてしまいました――そしてその電話の事はそれから七年の間、ついぞ一度も思い出した事がありませんでした――で、その夜は、折角の楽しい瞑想を目茶々々に打ち壊されてしまったのがひどく腹立たしかったので、またその底気味の悪い怪しい出来事に何時までも思い悩まされているのはとても堪らなかったので、有合したコニャク酒をしたたかに呷るとその儘、寝込んでしまいました。
 するとその翌朝になって帳場のそばの溜まりで、ガルソンから、けさ一人の支那人が宿《うち》から程遠からぬ所を流れている黄浦江《おうほこう》の河岸に惨殺されていた、と云う話を聞かされたのです。ところがその殺された支那人と云うのが、年恰好や人相や服装がどうも胡らしいのではありませんか。僕は愈々すっかりおびやかされてしまいました。若しその場に探偵でも居合せたなら必ずや僕のそぶりに容易ならぬ疑をかけたに相違ありません。僕にはとても、その死骸をわざわざ見届けに行く程の勇気はありませんでした。(併しそれは正しく胡に違いなかったのです。その日の夕刊に詳細にしるされてありました)胡は僕の室の窓ぎわで室内の僕にむかってまさに何かを告げようとしていた時だしぬけに背後から加害者――多分大ぜいの、加害者のために引きずり倒されて拉致し去られたものと見えます。その証拠には僕はその窓下で、雨に濡れた庭草や植木などが泥だらけの足痕で散々に踏みみだされているのを発見しました……併し、それならば胡は何者のために殺されたのだろう……そしてまた何の目的をもっておそろしい雨の夜僕の部屋外まで出かけて来たのであろう……何を彼は僕に語ろうとしたのであろう――昨夜《ゆうべ》の青ざめたすごい支那人の顔が、僕
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