なかった。僕はそこで遂に幸子に斯う云った。――よし、それでは仕方がない。この芝居の大詰は模様更えだ。心変りのした憎い女め! 俺は貴様を殺してやるぞ!」そして、僕はそう云い終るが早いか、真蒼になって立ちすくんだ幸子さんを崖の上から突き落してしまったのだ。咄嗟の場合、僕は愛する女を、永劫に人手に渡さぬためには、自分の手で殺してしまうよりほかなかったのだ…………」
 旻は、さて枕に顔を押し当てて、すすり泣いた。
 晃一は、黙って夜具をかぶってしまった。
 風をまじえた雨の、雨戸へふきつける音が聞こえた。

 6

 しばらくして、晃一は蒲団から顔を出すと、穏かな調子で旻へ話しかけた。
 ――旻、お前の話は嘘ではあるまいと思う。」
 旻は返事をしなかった。
 ――だが旻、幸子を殺したのは、少くともお前ではないのだ。なある程お前は殺すつもりで、突き落したかも知れないけれど、幸子は墜落の途中松の木にひきかかって気絶してしまった。その時は未だ死んではいなかったばかりでなく、せいぜい僅かな擦り傷を負った位のものだろう。それをお前達の後をつけて行った一人の男が、幸子の悲鳴におどろいて、その場へ駈けつけて
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