十年後の映画界
渡辺温
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)酒場《バア》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)「|騒音と煙《ショル・ウント・ラウフ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「さんずい+石」、324−13]
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一千九百三十九年一月×日
街裏の酒場《バア》「|騒音と煙《ショル・ウント・ラウフ》」の一隅に於て、酔っぱらいの私がやはり酔っぱらいのオング君を、十年振りに見出したと思いたまえ。オング君は、一昔前と変らぬリボンをネクタイに結んだ懐しい姿で、赤ラベルの安|三鞭酒《シャンペン》を煽りながら、私に呼びかけたのである。
『やあ、新年お目出度う。……久しくお遇いしませんでしたが、髭なんぞ生やして、随分お年を召されたようですね。今何をしておいでですか? そう、やはり市役所の方へお勤めなのですか? 奥さんは、今度こそ、もうおもちでしょうな? それはそれは。……で、僕ですか? 僕は活動写真業です。ほら、お互に末だあまり年をとり過ぎてしまわなかった頃、港の裏山の草っ原に寝ころんで計画しあったではありませんか。青空の中に翩翻として橙色の旗が翻っているマキアベリイ理想映画会社について。それを今度僕がたった一人で実現したのですよ。嘘だと思うなら、近々お天気のいい日にでも散歩がてらいらっして下さい。港の裏山には、我々が曾て空想した通りの、橙色の旗が翩翻として青空に翻っています。……』
もう不惑に近く、海豹のように無口になってしまった私に向かって、彼は十年前と少しも変らぬ雄弁を以て語るのであった。
『君はその時分は一方ならぬ映画ファンで、何時でも僕に嘆いていたのを、僕はよく憶えていますよ。……今時の映画と来たら、単なる機械製産品以外の何者でもあり得ない。それに映画批評家たちの眼目とする映画の価値はひたすらカメラワアクに依って決定されるスピード第一、アイモの移動、云々。映画の内容は? 内容とは筋ではない、映画が若しも如何なる意味に於てか芸術で有り得るとするならば、その芸術自身の姿だが、そんなものは全く蔑《ないがしろ》にされ忘れられてしまっているではないか、と。……僕は常に君のそう云う意見に賛成していました。それで僕は
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