、恰《まる》で女房かなんかのような気がするでしょうよ。馬鹿々々しい!』
『エミちゃんは、どうしてそうロマンティストになり切れないのかなあ。』
『背負《しょっ》ちゃ駄目よ。――それよりか、ちょいと水族館でも覗いて見ないこと?』エミ子は、ぶすぶす云っている雄吉君を連れて水族館へ入りました。水族館にも、文太郎組の姿は見かけられませんでした。
亀の子、泳いでいる大|章魚《だこ》、あなご、ごんずい……大して面白い見せ物ではありません。併し、あの物凄い『猫鮫』だけは当館第一の怪物です。雄吉君は、長いことその前に立ち止っていました。『猫鮫』みたいな醜怪なる化物を、この世で初めて、エミ子もお雄坊も見せつけられたのです。
あれを眺めた者は、誰だって覚えずにはいられない本能的憎悪を、雄吉君は人一倍にしつこく、強く感じたらしかったのです。
『畜生、一つブン殴ってやり度いな。ステッキを持って来なかったのが何より手ぬかりだった。』と、彼はいたく口惜しがりました。
『ほんとに憎らしいこと。家のブン大将が怒った時とそっくり……』
『てへッ。何とか仰有られたようですな。』
雄吉君は、到頭我慢がなり兼ねたと見えて、足もとに転がっていた砂利の一番大きそうなのを拾うと、いきなり猫ザメめがけて投げつけました。けれども怪物はビクともしないで、却って、ニヤリと笑ったとも思えるような工合に白い鋭い歯をのぞかせて、あぶくを二つ三つ噴き出してみせた位です。
『お止しなさい。雄ちゃん、見つかると叱られてよ。』
エミ子は雄吉君を止めました。
ところが、それでもきかずに、猶《なお》幾度か化物の折檻をこころみている中に、雄吉君はつい誤って、小石を硝子枠にぶつっけてガチャン! と、大きな硝子を一枚破ってしまったのです。番人が仰天して、遠くの方から馳けつけて来て、雄吉君を取り抑えました。それでエミ子は、さんざん詫びた末、五円の弁償金を代りに払ってやりました。そうしてほうほう[#「ほうほう」に傍点]の体で逃げ出さなければなりませんでした。
再び桟橋を渡って、片瀬から今度は鵠沼の方へ続く寂しい海岸を暫らく見て廻ったのですが、これもやっぱり甲斐ないことでした。エミ子は、何とも云えない遣るせない気持になって、また泣けて来そうでした。お雄坊の前なんかで不覚の泪を流すのは辛かったので、それに陽ざしもそろそろ赤くなって来ていたし
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