ている家があるわ。」と娘は赤くかじかんでしまった指で指さしながら云った。
「そう、じゃ其処へ行きましょう。」
井深君は娘を連れてその家へ行った。狭い路地を這入ったところにある見るからに不景気そうな家で、青い花電気のさしている見世窓のガラスへ弓形にローマ字でカフェ・マンゲツとしるしてあった。
(マンゲツ……満月と云う意味かしら)
と井深君はそんな事を思い乍ら雪をはらって其処の二階へ上がった。お客は他に一人もなかった。それでも仕合せなことに、ガス・ストオヴが薔薇色の炎を輝し乍ら盛にたかれているのを見て井深君はホッとした。
「召上り物は?」
更紗の前かけをかけたひねこびたような女給が、二人がストオヴの傍の食卓へ着くのを待ってそう云った。
「何?――」と井深君は娘に訊いた。
「何でも――」と娘はつつましやかに答えた。
井深君は少しく勝手が違っているように思った。娘が「あたしの知っている家」と云った以上、そんな女給ともよく識り合っていて、食べ物は勿論万事さぞ気儘に振舞ってみせるだろうと考えていたのに、全くそうではなかったのである。そしてまた女給にしろ、娘に対してどんな特別な親しさをも、或
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