のだ。不具者のもちまえで、彼女は頑に、親の教えた過ちを信じて改めなかった。
姉は幾度も私の脛を撫ぜて、幾度も首を縦に振った。
――姉さん。どうしたの?」と私は訊ねた。
姉は長い間に、私と姉との仲だけに通じるようになった。精巧な手真似で答えた。
――ワタクシ、オマエガ、キライダ!」
――なぜです?」
――オマエハ、モウ、ソレヨリ、オオキクナッテハ、イケマセンヨ。」
――なぜです?」
――ワクシハ、オマエト、イッショニ、クラスコトガ、デキナクナルモノ。」
――なぜです?」
姉は私の硯箱を持って来た。私は眼に一丁字もない彼女が何をするのかと、訝《あやし》んだ。ところが姉は筆に墨をふくめて、いきなり私の顔へ、大きな眼鏡と髯とをかいた。それから私を鏡の前へつれて行った。
――立派な紳士ですね。」と私は鏡の中を見て云った。――
――ゴラン!ソノ、イヤラシイ、オトコハ、オマエダヨ。」
姉は怯えた眼をして首を縦に振った。
私は姉をかき抱いて泪ながらに、そのザラザラな粗悪な白壁のような頬へ接吻した。姉は私の胸の中で、身もだえして唸った。
3
姉は、夜更けてから、血の気の失せた顔をして帰って来て、私にご飯をたべさせてくれた。
どんなに、姉は、私を愛しんでくれることであろうか!
姉は腕に太い針で注射をした。――姉の病気は此頃ではもう体の芯まで食いやぶっていた。
姉はそして昼間中寝てばかりいた。姉は眠っている時に泣いた。泪が落ちくぼんだ眼の凹みから溢れて流れた。
私は真昼の太陽の射し込む窓の硝子戸に凭りかかって、半ズボンと靴下との間に生えている脛毛を、ながめてばかりいた。
(――私は、姉を食べて大きくなったようなものだ。)
私の心は、そんなにひどい苦労をして、私を大人に育て上げてくれた姉に対する感謝の念で責められた。私にとって、姉の見るかげもなく壊れてしまった姿は、黒い大きな悲しみのみだった。私はなぜ、私が大人になるためには、それ程の大きな悲しみが伴われなければならなかったのだろうか、と神様に訊き度かった。……大人になったことも、姉を不仕合せにしたことも、私の意志では決してないのだ。親父と二人の阿母《おふくろ》とに、地獄の呪いあれ!……私は堪え難い悲嘆にすっかりおしつぶされてしまって、あげくの果に、声をしのんで嗚咽するのであった、私は寧ろ死んで
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