合い、重なり合って並んでいる繁華な町へ出た。色とりどりの美しいイルミネエションの中に陽気な広告の楽隊が鳴り響いていた。私はそんな賑かな街区へ足を踏み入れたのは、全くこれが初めてであったけれども、私はひたすら姉を見失うことをおそれて、高貴なる香水の匂にみちた人波を、押し分け押し分けして、姉を追いかけた。追いかけながら、私はこれ程繁昌な巷に立って見窶《みすぼら》しい唖娘の姉が、取るに足らない草花なぞを売って、果してそれを気にとめて買ってくれる人が少しでもいるのであろうか――これは、いよいよ姉は私を欺いているらしいと考えるのであった。
姉はやがて宏大なるビイルディングの一つをえらんで、些の※[#「足へん+寿」、第4水準2−89−30]躇なく這入って行った。そのビイルディングの軒端には「フラワー・ハウス」と云う電飾文字が明滅していた。それで私も黒いマントを脱いで大胆にその玄関へ踏み込んだ。金モールのいかめしい制服を着た門番も、その他の誰も、私を怪しむ様子はなかった。
姉はやはり私に気がつかないまま地下室の方へ降りて行った。階上の立派さに引き更え、地下室の廊下は、灰色の汚れた壁の間に挾まれて息苦しい程細く、そして低い天井に灯っている電燈はおそろしく薄暗かった。姉はその廊下の両側に幾つとなく並んだ木の扉の一つを開けて、その内側へ消えてしまった。洒落た身装の男達が退屈そうに廊下を往ったり来たりしながら、時々それらの扉の前に佇んだ。私は暫くためらった後に、リノリウムの上に足音を忍ばせて、マントをかぶってそっと姉の隠れた部屋へ近寄って見た。
木の扉に、いつか私が姉に頼まれて書いてやった覚えのある値段書が、もう色褪せて貼られてあった。
[#ここから5字下げ、21字詰め、罫囲み]
室咲名花
ダリヤ ………………………………五十銭
シクラメン………………………………五十銭
菊…………………………………………時価
[#ここで字下げ終わり]
そしてそれより少し上の、恰度私の眼の高さ位のあたりに手首の這入る程の円い穴があけてあって部屋の中を覗けるように出来ていた。私はそこから恐る恐る覗いて見た。部屋の中にはうす桃色の灯がともされて、その下にたった一つ粗末な木造の寝台があって、それへ姉が一人で腰かけていた。何時の間に着替えたのか、姉は肩のピンと糊でつっ張った紫と白との疎《あら》い棒
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