のか、どっちともはっきりしたことは思い当りません。私は直に踵をかえして表通りに出ると、通りがかりのタクシイを呼び止めて、それで街のヨロピン酒場へ参りました。そして一時近く迄一人で飲んで、それから八木の家へ泊りに行ったことは先に申し上げた通りです。
『そんな嘘を吐く気になった最初の理由は、勿論自分たちの醜い三角関係を秘密のままにして置きたかったからで――寛容や友誼の故よりも、むしろ世間に対して私自身の面目を失い度くなかったからです。……併し、直ぐに美代子はその秘密を検視官の前で打ち明けてしまいました。そして、美代子の支那小説云々の話は、ひょっとしてこれは美代子が殺したのではあるまいかと云う疑を私に起させました。何故と云って、その本を読んで聞かせてやったのは小野自身だったのですから。ところが果してピストルに彼女の指紋が発見されました。私はそこで警戒する気になったのです。たといどんな理由にもせよ、共犯の疑なぞかけられて巻き込まれたりしては大変だと考えました。しかも当夜の自分の行動を正直に申し立てるのはこの上もなく不利益であることを感じたので、私はあらかじめ現場不在証明を考えて置いた次第です。……』
こう云う葛飾の弁明には『偽を申し立てた要心深さ――若しくは、臆病さ』に就いて裁判官を納得させるのに充分なものがなかったらしい。
ピストルに犯人が指紋をのこさなかったのも、その位に要心深い人間であってみれば当然である――と役人は述べた。
そして葛飾は幾年かの懲役を云い渡された。
7
美代子はたった一人取りのこされて、その広い淋し過ぎる家で、蒼ざめた不吉な追憶と一緒に暮さなければならなかった。
葛飾の罪が決定してから一月も経った頃、美代子はやはり画室の中で縊れて死んだ。
今度は――遺書があった。裁判官へ宛ててある。
『……小野潤平を殺したのは私でございます。
あの晩、小野は酔って帰って来まして、私に一緒に逃げてくれと申しました。そして私がそれをはねつけますと、いきなりポケットからピストルを出して、自分の頭を狙ってみせました。私は吃驚してその手に飛びついて、ピストルを※[#「てへん+宛」、第3水準1−84−80]ぎ取ろうとしました。ところが、私はあやまって引金に指をかけてしまったのでございます……』
『私は恐しい人殺しの罪を免れるために、ピストルを小野さんの手に握
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