たので、智子は事務室に居残って、為事《しごと》の余分を続けながら、晴れ間を待っていた。日が暮れ落ちても雨脚は弱らなかった。それで、待ちあぐんで、兎も角建物の玄関迄出て見た。通りがかりのタクシィでもあればと考えたのだが、そんな裏町を退勤時刻過ぎて通り合わせる車は滅多になかった。近所の自動車屋へ電話をかけてみると、生憎みんな出払っていた。
 智子は途方に暮れたまま、青白い街燈の中に銀色に光る逞しい雨の条を眺めていた。
 すると、其処へ彼女の背後から靴音をさせて浅原が出て来た。浅原は、雨だれに向ってしょんぼり佇んでいる智子の姿を一瞥して、鳥渡躊躇したらしく、立ち止まりながら暗いひさしの外を仰いだが、さて上衣の襟を立てると、人道を横切って、そのむこう側に着けてあった小さな二人乗箱型の自動車《クーペ》[#「箱型の自動車」に「クーペ」のルビ]の扉をあけてそれへ乗った。智子も先刻からその自動車には気がついていたのだが、遉に浅原の乗用とは考え及ばなかった。
 浅原は硝子窓の内側から、熱心な眸で智子の方を瞶めた。
 (あの人、乗せてくれるかも知れないわ――)
 智子は、そんな期待を感じて、胸をかたくした
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