、それへ銀の小箱の中に入っていた綱をひっかけて、轟く胸をおさえながら、そろそろと地の底へ降りて行きました。ところが、あらかじめ仕掛けがしてあったのでしょう。綱はプツリと音を立てて切れました。呀ッと[#「呀ッと」は底本では「※[#「口+(一/牙)」、101-17]ッと」]云うとイワンの兄は忽ち深い深い穴の底へ落ち込みましたがうまい工合に大そう柔いベッドがすっぽりと体を受けとめて呉れました。その穴の何処か一番高い天井の辺から明るい日の光が洩れてくるようにつくられてあったので、そのベッドが未だ新らしい却々《なかなか》上等なものであることが判りました。
イワンの兄は、どうやら其処が宝の蔵ではなさそうなのに気がついて、うろたえて、探し廻りました。穴の中にあったすべてのものは、そのベッドの他に、物々しいパンの山とそして幾十樽かの葡萄酒とでした。
考え深い父親が、馬鹿な息子の身を案じて工夫した食うに困らぬ安楽な「行末」とは、ただそれだけのことでした。
決して他人に邪魔されぬような場所を、わざわざ択《えら》んで設けた程のものでしたから、またその中でどのように叫び立てたとて、それが万が一にも誰かの耳に聞えるようなことはありませんでした。
イワンの兄は、そんな穴の底で、イワンの代りにその余生を暮さなければなりませんでした。
みなさんは、それでもイワンの父親がその息子たちのためにして置いた事をば、間違いだとはお考えにならないだろうと思います。
底本:「アンドロギュノスの裔」薔薇十字社
1970(昭和45)年9月1日初版発行
初出:「新青年」
1928(昭和3)年1月
入力:森下祐行
校正:もりみつじゅんじ
2000年2月11日公開
2007年10月15日修正
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