してオルガンひいてゐる学校)
うつろの心に眼が二つあいてゐる
母の無い児の父であつたよ
淋しいからだから爪がのび出す
ころりと横になる今日が終つて居る
一本のからかさを貸してしまつた
朝早い道のいぬころ
[京都時代]
貧乏寺だった常高寺での生活はまたたく間に終わり、放哉は荻原井泉水を頼って京都へ。大正一四(一九二五)年の七月から八月、関東大震災後に母と妻を失い京都で独居生活を送る井泉水のもとに身を寄せることになる。
山寺灯されて見て通る
昼寝の足のうらが見えてゐる訪ふ
宵のくちなしの花を嗅いで君に見せる
蜘蛛がとんぼをとつた軒の下で住んでる
蓬ひに来たその顔が風呂を焚いてゐた
(逢ひに来たその顔が風呂を焚いてゐた)
旧暦の節句の鯉がをどつて居る
[小豆島時代]
大正一四(一九二五)年八月、放哉は井泉水の紹介を得て、小豆島に渡る。西光寺の奥の院南郷庵の庵主となった放哉は、酒と作句に明け暮れる。そして翌大正一五(一九二六)年四月七日、病没。享年は四一。
眼の前魚がとんで見せる島の夕陽に来て居る
いつしかついて来た犬と浜辺に居る
さはにある髪をすき居る月夜
漬物石になりすまし墓のかけである
すばらしい乳房だ蚊が居る
あらしの中のばんめしにする母と子
あらしのあとの馬鹿がさかなうりにくる
足のうら洗へば白くなる
海が少し見える小さい窓一つもつ
わが顔があつた小さい鏡買うてもどる
ここから浪音きこえぬほどの海の青さの
すさまじく蚊がなく夜の痩せたからだが一つ
とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた
なん本もマッチの棒を消し海風に話す
山に登れば淋しい村がみんな見える
雨の椿に下駄辷らしてたづねて来た
叱ればすぐ泣く児だと云つて泣かせて居る
花がいろいろ咲いてみな売られる
(花がいろいろ咲いてみんな売られる)
秋風の石が子を産む話
(秋風の石が子を産む話し)
投げ出されたやうな西瓜が太つて行く
壁の新聞の女はいつも泣いて居る
鼠にジヤガ芋をたべられて寝て居た
盆燈籠の下ひと夜を過ごし故里立つ
(盆燈籠の下ひと夜を過ごし古郷立つ)
少し病む児に金魚買うてやる
風吹く家のまはり花無し
山は海の夕陽をうけてかくすところ無し
水を呑んでは小便しに出る雑草
花火があがる空の方が町だよ
一疋の蚤をさがし
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