尾崎放哉選句集
尾崎放哉

青空文庫版まえがき

 このテキスト・ファイルには、種田山頭火と並んでいわゆる自由律俳句を代表する俳人、尾崎放哉(おざき・ほうさい。一八八五―一九二六)の作品を年代を追って並べた。放哉の句作は早く中学時代に始まっており、四一歳で死去するまでの足どりを十の時期に区分してある。
 ここに掲載したのは、もとより放哉の句すべてではなく、ごく一部にすぎない。選択にあたっては、若い人々に読まれることを願い、できるだけ平明なものに絞った。また、各章のはじめにはその時期の放哉についての簡単なコメントをつけてある。
 放哉の句は表記が異なって公表されているものが少なくない。デジタル化にあたり、『尾崎放哉句集』(彌生書房)『尾崎放哉全句集』(春秋社)を底本とし、表記が異なるものは双方を掲載した。( )付きの句の表記は『尾崎放哉全句集』に基づく。〈編集―青空文庫・浜野〉

[中学時代]
 尾崎放哉は、明治一八(一八八五)年一月二〇日、鳥取県邑美郡(現鳥取市)吉方町に父尾崎信三、母なかの次男として生まれた。本名秀雄。明治三〇(一八九七)年、県立第一中学校に入学。句作はこの頃始まった。

きれ凧の糸かかりけり梅の枝

水打つて静かな家や夏やなぎ

木の間より釣床見ゆる青葉かな

よき人の机によりて昼ねかな

露多き萩の小家や町はづれ

寒菊や鶏を呼ぶ畑のすみ

欄干に若葉のせまる二階かな

病いへずうつうつとして春くるる

行春や母が遺愛の筑紫琴

[一高時代]
 明治三五(一九〇二)年、放哉は上京して第一高等学校(一高)に入学。一年先輩にのちに俳句の上での師匠格となる荻原井泉水がいた。放哉は井泉水主宰の俳句のサークルに加入したが、熱心ではなかったという。

しぐるヽや残菊白き傘の下

峠路や時雨晴れたり馬の声

酒のまぬ身は葛水のつめたさよ

[大学時代]
 明治三八(一九〇五)年六月に第一高等学校を卒業した放哉は、同年九月、東京帝国大学法学部に入学。千駄木で自炊生活をした。この頃には『ホトトギス』や『国民新聞』の俳句欄にしきりに作品を投稿していたという。

一斉に海に吹かるる芒かな

提灯が向ふから来る夜霧哉

提灯が火事にとぶ也河岸の霧

郷を去る一里朝霧はれにけり

鏡屋の鏡に今朝の秋立ちぬ

木犀に人を思ひて徘徊す

白粉のとく澄み行くや秋の水

夕ぐれ
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