傍点]の代りになるのです)等々、何しろ商売往来に名前の出てないものが沢山あるのですから数へ切れません。これ等一つ一つの托鉢先の感想を書いても面白い材料はいくらでもありませう。さて、私がこれ等の托鉢を毎日々々やつて居ります間に、大に私のため[#「ため」に傍点]になることを一つ覚えたのであります。それはかう云ふ事です。百万長者の家庭には入つて見てもカラ/\[#「カラ/\」に傍点]の貧乏人の家庭には入つて行つて見ましても、何かしら、其家のなかに、なんか頭をなやます問題が生じて居る、早い話が、お金に不自由が無い家とすれば、病人が有るとか、相続人が無いとか、かう云つた風なことなのです。ですから万事思ふまゝになつて、不満足な点は少しも無いと云ふやうな家庭は、どこを探して見ても、それこそ少しも無い[#「少しも無い」に傍点]と云ふ事でありました。仏力は広大であります。到る処に公平なる判断を下して居られるのであります。それと今一つ私の感じたことは、筋肉の力の不足と云ふことです。これは私が在園中の正直な体験なのですが、幸か不幸か、死ぬなら死んでしまへとはふり出した肉体は、其後今日迄別段異状無くやつて来たの
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