、之が台所で、其れにくつ付いて小さい土間に竈《かまど》があるわけであります。唯これだけでありますが、一人の生活としては勿体ないと思ふ程であります。庵は、西南に向つて開いて居ります。庭先きに、二タ抱へもあらうかと思はれる程の大松が一本、之が常に此の庵を保護してゐるかのやうに、日夜松籟潮音を絶やさぬのであります。此の大松の北よりに一基の石碑が建つて居ります。之には、奉供養大師堂之塔と彫んでありまして、其横には発願主圓心禅門と記してあります。此の大松と、此の碑とは、朝夕八畳に坐つて居る私の眼から離れた事がありません。此の発願主圓心禅門といふ文字を見る度に私は感慨無量ならざるを得ん次第であります。此の庵も大分とそこら中が古くなつて居るやうですが、私より以前、果して幾人、幾十人の人々が、此の庵で、安心して雨露を凌ぎ且はゆつくりと寝させてもらつた事であらう。それは一に此の圓心禅門といふ人の発願による結果でなくてなんであらう。全く難有い事である。圓心禅門といふ人は果してどんな人であつたであらうかと、それからそれと思ひに耽るわけであります。
 東南はみな塞つて居りまして、たつた一つ、半間四方の小さい窓
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