が、八畳の部屋に開いて居るのであります。此の窓から眺めますと、土地がだんだん低みになつて行きまして、其の間に三四の村の人家がたつて居ますが、大体に於て塩浜と、野菜畑とであります。其間に一条の路があり、其道を一丁計り行くと小高い堤になり、それから先きが海になつて居るのであります。茲は瀬戸内海であり、殊にズツと入海になつて居りますので、海は丁度渠の如く横さまに狭く見られる丈でありますけれども、私にはそれで充分であります。此の小さい窓から一日、海の風が吹き通しには入つて参ります。それ丈に冬は中々に寒いといふ事であります。
 さて、入庵雑記と表題を置きましたけれども、入庵を機会として、私の是迄の思ひ出話も少々聞いて頂きたいと思つて居るのであります。私の流転放浪の生活が始まりましてから、早いもので已に三年となります。此間には全く云ふに云はれぬ色々なことがありました。此頃の夜長に一人寝てゐてつくづく考へて見ると、全く別世界にゐるやうな感が致します。然るに只今はどうでせう。私の多年の希望であつた処の独居生活、そして比較的無言の生活を、いと安らかな心持で営ませていたゞいて居るのであります。私にとりましては極楽であります。処が、之が皆わが井師の賜《たまもの》であるのだから、私には全く感謝の言葉が無いのであります。井師の恩に思ひ到る時に私は、きつと、妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五を朗読して居るでありませう。何故なれば、どう云ふものか、私は井師の恩を思ふ時、必ず普門品を思ひ、そして此の経文を読まざるを得ぬやうになるのであります。理窟ではありません。観音経は実に絶唱す可き雄大なる一大詩篇であると思ひ信じて居ります。井師もきつと共鳴して下さる事と信じて居ります。猶、此機会に於て是非とも申させていたゞかねばならぬ事は西光寺住職杉本宥玄氏についてであります。已に此庵が西光寺の奥の院である事は前に申しました通り、私が此島に来まして同人井上一二氏を御尋ね申した時、色々な事情から大方、此島を去つて行く話になつて居りましたのです。其時、此庵を開いて私を入れて下すつたのが杉本師であります。杉本師は数年前井師が島の札所をお廻りになつた時に、井上氏と共に御同行なされた方でありまして、誠に温厚親切其のものの如き方であります。師とお話して居ますと自ら春風駘蕩たるものがあります。私は此尊敬す可き師の庇護の下に此
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