山の中だとか、草ツ原で呑気に遊んで居る時はよいのですが、一度吾々の手にかゝつて加工されると、それつ切りで死んでしまふのであります、例へば石塔でもです、一度字を彫り込んだ奴を、今一度他に流用して役に立てゝやらうと思つて、三寸から四寸位も削りとつて見るのですが、中はもうボロ/\[#「ボロ/\」に傍点]で、どうにも手がつけられません、つまり、死んでしまつて居るのですな、結局、漬物の押し石位なものでせうよ、それにしても、少々軽くなつて居るかも知れませんな……とか、かう云つたやうな話は、ザラ[#「ザラ」に傍点]に聞く事が出来るのであります。石よ、石よ、どんな小さな石ツころ[#「石ツころ」に傍点]でも生きてピンピン[#「ピンピン」に傍点]して居る。その石に富んで居る此島は、私の感興を惹くに足るものでなくてはならない筈であります。
 庵は町の一番とつぱし[#「とつぱし」に傍点]の、一寸小高い処に立つて居りまして、海からやつて来る風にモロ[#「モロ」に傍点]に吹きつけられた、只一本の大松のみをたより[#「たより」に傍点]にして居るのであります。庵の前の細い一本の道は、西南の方へ爪先き上りに登つて行きまして、私を山に導きます。そして、そこにある寂然たる墓地に案内してくれるのであります。此の辺はもう大分高み[#「高み」に傍点]でありまして、そこには、島人の石塔が、白々と無数に林立してをります。そして、どれも、これも皆勿体ない程立派な石塔であります。申す迄も無く、島から出る好い石が、皆これ等の石塔に作られるのです。そして、雨に、風に、月に、いつも黙々として立ち並んでをります。墓地は、秋の虫達にとつては此上もないよい遊び場所なのでありますが、已に肌寒い風の今日此頃となりましては、殆ど死に絶えたのか、美しい其声もきく事が出来ません。只々、いつ迄もしんかん[#「しんかん」に傍点]として居る墓原。これ等無数に立ち並んで居る石塔も、地の下に死んで居る人間と同じやうに、みんなが死んで立つて居るのであります。地の底も死、地の上も死……。あゝ、私は早く庵にかへつて、わたしのなつかしい石ツころ[#「石ツころ」に傍点]を早く拾ひあげて見ることに致しませう、生きて居る石ツころ[#「石ツころ」に傍点]を――。



底本:「日本の名随筆88 石」作品社
   1990(平成2)年2月25日第1刷発行
底本の親本:「尾崎放哉全集 増補改訂版」彌生書房
   1980(昭和55)年6月発行
入力:渡邉つよし
校正:門田裕志
2002年11月12日作成
2002年11月25日修正
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