し前にのばせば、そこは広々と低みのなだれ[#「なだれ」に傍点]になつて一面の芋畑、そして遠く、土庄町の一部と、西の空の開いて居るのが見えるのであります。東は例のこの庵唯一の小さい低い窓でありまして、其の窓を通して渠の如き海が見え、海の向うには、島のなかの低い山が連つて居ります。西はすぐ山ですから、窓によつて月を賞するの便があるのみで、別に大した風情は有りませんのです。お天気のよい日には毎朝、此の東の空に並んで居る連山のなかから、大陽がグン/\[#「グン/\」に傍点]昇つて来ます。太陽の昇るのは早いものですね。山の上に出たなと思つたら、もう、グツグツグツと昇つてしまひます。その早いこと、それを一人坐つてだまつて静に見て居る気持ツたら[#「ツたら」に傍点]全くありません。私は性来、殊の外海が好きでありまして、海を見て居るか、波音を聞いて居ると、大抵な脳の中のイザコザ[#「イザコザ」に傍点]は消えて無くなつてしまふのです。「賢者は山を好み、智者は水を愛す」といふ言葉があります。此の言葉はなか/\うま味のある言葉であると思ひます。但し、私だけの心持かも知れませんが――。一体私は、ごく小さな時からよく山にも海にも好きで遊んだものですが、だんだんと歳をとつて来るに従つて、山はどうも怖い……と申すのも可笑しな話ですが、……親しめないのですな。殊に深山幽谷と云つたやうな処に這入つて行くと、なんとはなしに、身体中が引締められるやうな怖い気持がし出したのです。丁度、怖い父親の前に坐らされて居ると云つたやうな気持です。処が、海は全くさうではないのであります。どんな悪い事を私がしても、海は常にだまつて、ニコ/\[#「ニコ/\」に傍点]として抱擁してくれるやうに思はれるのであります。全然正反対であります。ですから私は、これ迄随分旅を致しましたうちで、荒れた航海にも度々出逢つて居りますが、どんなに海が荒れても、私はいつも平気なのであります。それは自分でも可笑しいやうです。よし、船が今微塵にくだけてしまつても、自分はあのやさしい海に抱いてもらへる、と云ふ満足が胸の底に常にあるからであらうと思ひます。丁度、慈愛の深い母親といつしよに居る時のやうな心持になつて居るのであります。
私は勿論、賢者でも無く、智者でも有りませんが、只、わけなしに海が好きなのです。つまり私は、人の慈愛……と云ふものに飢ゑ、
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