、それで万物の霊長とはどーした者だ。動物には理性が無いだの、猿には毛が三本足りないだの、大きな御世話だ。乃至、鳥は空を飛ぶ物だの、飯は食ふものだの、しかも俺等の仲間は生命なきもの、意識なきもの也と、抜かすではないか、チヤンチヤラ可笑しくつて、御臍が御茶を湧かして、煮えてこぼれてしまふは、人間が勝手にこしらへた、一人ヨガリの理窟とか、道理とか云ふものを見給へ、こんな、愚にも付かん事が、よく云はれた物さ。俺見たいな物でも思ふね。人間のする事、なす事、云ふ事、皆、何等かの(仮定)と云ふ物を宥《ゆる》して居るのだ。「仮定」の二字を人間から取つてしまつたら、人間はどーする気だらう。それこそ、二進《につち》も三進《さつち》も、動きが取れた物では無い。学者と云ふ人間の口から、「此の仮定をゆるして」と云ふ言葉を取つてしまつたら、後には、何が残つて居るだらう。しかも、此仮定が永久に説明の出来んものだから、猶更、面白いではないか。〇《ゼロ》とは何だ、一とは何、一と一と加へて二となるとは何だ、一と一とを加へ二となると云ふ仮定を「宥す」と云ふなら、一と一を加へて三となるといふ仮定も「宥され」ないと云ふ理窟は、
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