をぬかすと思つたが、此奴、一番眠気覚しにしてやらうと思つたから、「そーかね、君等は随分古顔だから、中々面白い事が有つたでせうね」と云ふと、遂々やり出した。「そりや有るさ。君等に話した処で、到底、まだ解らんだらうが、未だ、これから、生末の長い君等だから、随分、後学の為にもなるであらう、忘れない様に、聞いて置いたらよからうさ。俺は、此処に来てから四年になるのだ。始めて来た時は、東寮と云ふ処に居たのだ。君等は未だ見ないかも知れんが、此寮なぞよりはズツト高い三階だ。三階は三階でも、(三界に身の置き処なし三世相)と云ふ奴で、監獄と思へば余り間違ひはないよ。大きい丈に、生徒の数も二百計りは居る様だ。数が多いだけに又、変つた事も大有りだ。さうさね、随分話しになりさうな事はあるが、ヲーさうだ、君等は未だ、人間の死ぬる、勿論、自殺する処を見た事はあるまい。――なに五六遍見たつて。それはえらい。なんだ例の鐘や太鼓の調子でやるのだらうて、何の事だいそれは。芝居でだつて、馬鹿にするない、そんなケチ臭いのではないよ、赤毛布を被つてソロ/\匍ひ込む、そんなではないのだ。さすがは、高陵の健男子とか云ふ丈に、立派な物だつたよ。あゝ、今思ひ出しても、気の毒でならんわい。丁度、今から一年前だ。秋風蕭殺の気が、天地に籠つて、涼しい/\が、寒い/\にならうと云ふ時、死にそくなつた狂蝶が、まつ白な桜の返り花に、冷たい残骸を乗せて居ようと云ふ頃、一夜、矢張り十一時過ぎ、俺は三階の窓の上で、暫く無我の体《てい》だつた。ツイと、何気なく下を見ると、窓に立つてゐる人がある。青白い月光に、片頬丈ゲツソリとこけたのが、透き通る様に見える。しかも、眼にキラ/\と輝く物は、露か涙か、初めには君等の知つてる、例の化物連中かとも思つたが、容子がどーも変だ、一口も物を云はないで、立つてる事半時計り。俄然、ヒラリと動いたと思ふが早いか、窓から、大地に向けてツルリ、真つ逆様、ドタリと音が聞えたきり、向陵は、又も寂寞に帰つてしまつた。勿論、自殺さ。此時の俺は、人間では無いが恐ろしかつたね。どーして死ぬ気になつたであらう。さつきから、開いたまゝの窓の処を見てゐると、ボヤツと見えるのは、今のゲツソリ頬のこけた人の顔だしかも半面鮮血淋漓、ゾツとして眼をしばたゝくと、窓は矢つ張りあいたまゝで、斜に、月の光が画の様。三階から飛び降りて死ぬる、何としたはかない運命であつたらう。三階が人を殺す道具にならうとは、蓋し、何人も始めから思ひ付く人はあるまい。三階とて人間の棲む処だ。それが、人を殺す処となる。俺は、いろんな事を考へて見た。刃、剣、鉄砲、毒薬、病、これ等は、吾々が人を殺し得る物と、普通に知つて居る物だが、人を殺すものは、どーして、それ処では無い。手拭でも殺せる、棒でも殺せる、足でも殺せる、瀑に落ちても死ぬる、噴火口に這入つても死ぬる、戦争でも死ぬる、乃至、三階でも死ぬるではないか。地球上、至る処は死に道具で満ちて居る様に思はれる。吾々は、如何なる処でも、何を以てでも、どう云ふ方法でも、直ちに死ぬる事が出来る。吾々が呼吸してゐる、空気を吸ふのは生きる所以で、吐き出すのは死ぬる所以か、乃至、吐くので生きてる、吸ふので死ぬるのか。どつちに転んでも、すぐ死ぬるのだ。吸うたり、吐いたり、其処で吾人は生きて居るではないか。吾々は、死なうと思へば、何時でも死に得る。それを、危い呼吸で生きて居るのではないか。死ぬると云ふ事は、何だか、この呼吸の面白さを解して居ない様に見える。しかし、俺の考が間違つてゐるのかも知れない。想像は想像を生み出して、止む時がない。死ぬる事ばかりでは無く、総ての事柄は、此の呼吸でやつて行く様だ。ヤツと云ふ間に、舞台は、クラリ/\と変つて行く。過去六十年の歴史は、此のヤツと云ふ呼吸から出て来た火花だ。両国で花火を見る時、パンと音がして、サツと幾百条の赤い光線が出る。光線は即人間の歴史で、美くしい面白いが、其パンと云ふ音の方が、俺には面白う思はれる。宇宙は、総てこの「パン」「サツ」で以て出来てゐる。「パン」を知つたら、「サツ」は解る。「サツ」を見ても、「パン」は中々解らない。此の頃は、眼で殺される人間も有ると云ふが、此の「パン」「サツ」を知らないからだと思ふ。
 自殺から、とんだ話になつたが、まだ/\面白い事が有るよ。君等は未だ日が浅いから、此処に居る生徒の気質なども、よく解らんだらうが、中々、面白い処があるよ。俺はさい/\例の化物連の御かげで、と云ふのは、化物は俺を忘れて行つてくれたからで、自修室に、二三日も遊んで居た事があるが、いや中々の面白さ。君が居る北寮の、四番室と云ふ処に居つた時も、随分愉快だつたよ。あすこには、慥かに五人居たと思つたが、今でもそーか知らん、支那人も一人居つた様だ。人数は少
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