色の黒い事、漆を塗つて其上に油をかけて、又、其上に磨きをかけて、そして、サハラ沙漠で一年乾かした、と云ふ奴だ」「なる程な」、「時は十二時過よ。君と同じ様に、寝室に這入つて騒いだね。しかもこの沙漠先生、頗る付の話し好きと見えて、ドツカと坐りこんだなり、いや話すは/\。笑つて見たり、怒つて見たりの一人舞台だ。此間約一時間。なに俺は、側で昵《ぢつ》と居眠の練習さ。スルト沙漠先生、ヒヨロ/\と立つて、ガラス窓をあけたと思ひ給へ。丁度、昨夜は十五日だ、満月さ。虫は鳴かなかつたが、皎々たる盆大の明光、中天に懸つて水の滴りさうな奴。長天繊影なく、大他閑寂たり、清爽寥然として向陵一夜秋懐深してんだ。起きて居るのは、例の沙漠先生と、憧々《どうどう》たる俺ばかりさ。突如、ザーと飛瀑の音を聞き得たり。何と思ふつて、小便の音さ。しかしそー笑ふ勿れだ。此の時程俺は、美くしう感じた事は無かつたよ。全く美化されたね、俺も沙漠先生も、殊に小便がだ。小便をするは須《すべから》く此時に於てす可しだ。名月、沙漠男、慥に俳句にはなるよ。美と云ふ奴は妙なもので、とんでもない物が、非常な美と変化する事がある。尤も、裸体が美の真髄だなど云ふ、此頃ださうだからね。悪に強きものは、善にも強しと云ふと、えらく寺の和尚の説法めいては居るが、全くだ。要するに、非常な極端と極端とは、又、尤も近い物で有つて、其間の差は、到底、認める事が出来ん。咲き揃つた万朶の花と、それから、散つてしまつた花とは、一は繁栄の極で、一は凋落の極だが、其咲いてそして散る時の美、考へて見ると、分秒の間髪を入れない処に有る刹那だね。知つてるかもしらんが、「見渡せば桜の中の賭博哉」と云ふ句が有るが、此時の賭博は、ずんと美しいではないか。此の間髪を入れずと云ふ処が面白い。ヤツと云ふ間に頸が落ちる、と云ふ処が面白い。頸の有る人間と、頸の無い人間と、それが、たんだ、ヤツと云ふ間に定まると云ふ、イヤ面白いぞ/\。
扨、其続きだが、小便の音もぢきに遏《や》んでしまつた。と思ふ内、沙漠先生、何と思つたか俺を捕へた。と、それから後は君と同じ。グル/\のボチヤンさ」「オヤ/\そーかい」、中々小むづかしい事を云ふ奴だな、と思つて居ると、向うの方に居た奴が、「そーあんまり驚かない様にしろ、これからそんな事は毎夜だよ」此の赤毛布奴《あかげつとめ》、と云ふ顔付。古毛布め、何
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