じろぐねやの秘密のあけぼののあをいいろ、
さみだれに ちらちらするをんなのしろくにほふ足。
それよりも 寺院のなかにあふれる木蓮《もくれん》の花の肉、
それよりも 色のない こゑのない かたちのない こころのむなしさ、
やすみをもとめないで けむりのやうにたえることなくうまれでる肌のうつりぎ、
月はしどろにわれて生物《いきもの》をつつみそだてる。


  夢をうむ五月

粉《こ》をふいたやうな みづみづとしたみどりの葉つぱ、
あをぎりであり、かへでであり、さくらであり、
やなぎであり、すぎであり、いてふである。
うこんいろにそめられたくさむらであり、
まぼろしの花花を咲かせる昼のにほひであり、
感情の糸にゆたゆたとする夢の餌《ゑ》をつける五月、
ただよふものは ときめきであり ためいきであり かげのさしひきであり、
ほころびとけてゆく香料の波である。
思ひと思ひとはひしめき、
はなれた手と手とは眼をかはし、
もすそになびいてきえる花粉の蝶、
人人も花であり、樹樹も花であり、草草も花であり、
うかび ながれ とどまつて息づく花と花とのながしめ、
もつれあひ からみあひ くるしみに上気する むらさきのみだれ花、
こゑはあまく 羽ばたきはとけるやうに耳をうち、
肌のひかりはぬれてふるへる朝のぼたんのやうにあやふく、
こころはほどのよい湿りにおそはれてよろめき、
みちもなく ただ そよいでくるあまいこゑにいだかれ、
みどりの泡をもつ このすがすがしいはかない幸福、
ななめにかたむいて散らうともしない迷ひのそぞろあるき、
恐れとなやみとの網にかけられて身をほそらせる微風の卵。


  莟から莟へあるいてゆく人

まだ こころをあかさない
とほいむかうにある恋人のこゑをきいてゐると、
ゆらゆらする うすあかいつぼみの花を
ひとつひとつ あやぶみながらあるいてゆくやうです。
その花の
ひとの手にひらかれるのをおそれながら、
かすかな ゆくすゑのにほひをおもひながら、
やはらかにみがかれたしろい足で
そのあたりをあるいてゆくのです。
ゆふやみの花と花とのあひだに
こなをまきちらす花蜂《はなばち》のやうに
あなたのみづみづしいこゑにぬれまみれて、
ねむり心地《ごこち》にあるいてゆくのです。


  六月の雨

六月はこもるあめ、くさいろのあめ、
なめくぢいろのあめ、
ひかりをおほひか
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