ンし子に附けし名にて、そを外人に告げたるはロオザ[#「ロオザ」に傍線]なり。われ進みて之と語を交へて、その※[#「王+連」、第3水準1−88−24]馬《デンマルク》人なるを知りぬ。嗚呼、是れ畫工フエデリゴ[#「フエデリゴ」に傍線]と彫匠トオルワルトゼン[#「トオルワルトゼン」に傍線]との郷人なり。フエデリゴ[#「フエデリゴ」に傍線]は今故郷に在り、トオルワルトゼン[#「トオルワルトゼン」に傍線]は猶羅馬に留れりと聞く。現《げ》に後者が技術上の命脈は斯土《このど》に在れば、その久しくこゝに居るもまた宜《むべ》なるかな。
我等は群客と共に岸に下りて舟に上りぬ。舟はおの/\二客を舳《へさき》と艫《とも》とに載せて、漕手《こぎて》は中央に坐せり。舟の行くこと箭《や》の如く、ララ[#「ララ」に傍線]と我との乘りたるは眞先に進みぬ。カプリ[#「カプリ」に二重傍線]島の級状をなせる葡萄圃《ぶだうばたけ》と橄欖《オリワ》樹とは忽ち跡を沒して、我等は矗立《ちくりふ》せる岩壁の天に聳《そび》ゆるを見る。緑波は石に觸れて碎け、紅花を開ける水草を洗へり。
忽ち岩壁に一小|罅隙《かげき》あるを見る。その大さは舟を行《や》るに堪へざるものゝ如し。我は覺えず聲を放ちて魔穴と呼びしに、舟人打ち微笑《ほゝゑ》みて、そは昔の名なり、三とせ前の事なりしが、獨逸の畫工二人ありて泅《およ》ぎて穴の内に入り、始てその景色の美を語りぬ、その畫工はフリイス[#「フリイス」に傍線]とコオピツシユ[#「コオピツシユ」に傍線]との二人なりきと云ひぬ。
舟は石穴の口に到りぬ。舟人は※[#「舟+虜」、第4水準2−85−82]《ろ》を棄てゝ、手もて水をかき、われ等は身を舟中に横へしに、ララ[#「ララ」に傍線]は屏息《へいそく》して緊《きび》しく我手を握りつ。暫しありて、舟は大穹窿の内に入りぬ。穴は海面《うなづら》を拔くこと一伊尺《ブラツチヨオ》に過ぎねど、下は百伊尺の深さにて海底に達し、その門閾《もんよく》の幅も亦|略《ほ》ぼ百伊尺ありとぞいふなる。さればその日光は積水の底より入りて、洞窟の内を照し、窟内の萬象は皆一種の碧色を帶び、艪の水を打ちて飛沫《しぶき》を見るごとに、紅薔薇の花瓣を散らす如くなるなれ。ララ[#「ララ」に傍線]は合掌して思を凝らせり。その思ふところは必ずや我と同じく、曾て二人のこゝに會せしことを憶ひ起すに外ならざるべし。彼アンジエロ[#「アンジエロ」に傍線]の獲つる金は、むかし人の魔穴を怖れて、敢て近づくことなかりし時、海賊の匿《かく》しおきつるものなるべし。
巖穴の一點の光明は忽ち失せて、第二の舟は窟内に入り來りぬ。そのさま水底より浮び出づるが如くなりき。第三、第四の舟は相繼いで至りぬ。凡そこゝに集へる人々は、その奉ずる所の教の新舊を問はず、一人として此自然の奇觀に逢ひて、天にいます神父の功徳《くどく》を稱へざるものなし。
舟人は俄に潮滿ち來《く》と叫びて、忙はしく艪《ろ》を搖《うご》かし始めつ。そは滿潮の巖穴を塞ぐを恐れてなりき。遊人の舟は相|銜《ふく》みて洞窟より出で、我等は前に渺茫《べうばう》たる大海を望み、後《しりへ》に琅※[#「王+干」、第3水準1−87−83]洞《らうかんどう》の石門の漸く細《ほそ》りゆくを見たり。
[#地から1字上げ](明治二十五年十一月―三十四年二月)
底本:「定本限定版 現代日本文學全集 13 森鴎外集(二)」筑摩書房
1967(昭和42)年11月20日発行
入力:三州生桑
校正:松永正敏
2005年8月25日作成
2008年9月17日修正
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