ュ君の行方を知らず、人に問へども能く答ふるもの候はざりき。數日の後、怪しきおうな尋ね來て、一ひらの紙を我手にわたすを見れば、まがふ方なき君の手跡にて、拿破里《ナポリ》に往くと認《したゝ》めあり、御名をさへ書添へ給へれば、おうなの云ふに任せて、旅行劵と路用の金とをわたし候ひぬ。旅行劵はベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]に仔細を語りて、をぢなる議官《セナトオレ》に求めさせしものに候、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は事のむづかしきを知りながら、我言を納《い》れて、強ひてをぢ君を説き動しゝ趣に候。幾《いくばく》もあらぬに、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が痍《きず》は名殘《なごり》なく癒《い》え候ひぬ。彼人も君の御上をば、いたく氣遺《きづかひ》居たれば必ず惡しき人と御思ひ做《な》しなさるまじく候。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は痍の痊《い》えし後、我身を愛する由聞え候ひしかど、私はその僞ならぬを覺《さと》りながら、君をおもふ心よりうべなひ候はざりき。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は羅馬を去り候ひぬ。私は直ちに拿破里をさして旅立候ひしに、君も知らせ給ひし友なるおうなの俄に病み臥《こや》しゝ爲め、モラ、ヂ、ガエタ[#「モラ、ヂ、ガエタ」に二重傍線]に留まること一月ばかりに候ひき。かくて拿破里に着きて聞けば、私の着せし前日の夜、チエンチイ[#「チエンチイ」に傍線]といふ少年の即興詩人ありて、舞臺に出でたりと申噂に候。こは必ず君なるべしとおもひて、人に問ひ糺《たゞ》し候へば、果してまがふかたなき我戀人にておはしましき。友なるおうなは消息して君を招き候ひぬ。こなたの名をばわざとしるさで、旅店の名をのみしるしゝは、情ある君の何人の文なるをば推し給ふべしと信じ居たるが故に候ひき。おうなは再び文をおくり候ひぬ。されど君は來給はざりき。使の人の文をば讀み給ひぬといふに、君は來給はざりき。剩《あまつさ》へ君は遽《にはか》に物におそるゝ如きさまして、羅馬に還り給ひぬと聞き候ひぬ。當時君が振舞をば、何とか判じ候ふべき。私は君の誠ありげなる戀のいち早くさめ果てしに驚き候ひしのみ。私とても、世の人のめでくつがへるが儘に、多少驕慢の心をも生じ居たる事とて、思ひ切られぬ君を思ひ切りて、獨り胸をのみ傷《いた》め候ひぬ。さる程に友なるおうなみまかり、その同胞《はらから》も續きてあらずなり、私は形影相|弔《てう》すとも申すべき身となり候ひぬ。されど年猶|少《わか》く色未だ衰へずして、身には習ひおぼえし技藝あれば、舞臺に上るごとに、萬人の視線一身に萃《あつ》まり、喝采の聲我心を醉はしめて、しばし心の憂さを忘れ候ひぬ。是れまことのアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が最終の一年に候ひき。私はボロニア[#「ボロニア」に二重傍線]に赴《おもむ》く旅路にて、ふと病に染まり候ひぬ。初こそは唯だかりそめの事とおもひ候ひつれ、君に棄てられまつりてよりの、人知れぬ苦痛は、我が病に抗すべき力を奪ひて、一とせが程は頭をだにえ擡《もた》げず候ひき。こゝに君に棄てられぬと書きしをば、許させ給へ。私はその頃、君の猶我身を忘れ給はで、世の人の皆我身を顧みざるに至りて、今一たび我手に接吻し給ふべきをば、夢にだに思得候はざりしなり。二とせの間、劇場にて貯へし金をば、藥餌の料に費《つひや》し盡し候ひぬ。病は※[#「やまいだれ+差」、第4水準2−81−66]《い》えぬれども、聲潰れたれば、身を助くべき藝もあらず、貧しきが上に貧しき境界《きやうがい》に陷いり、空しく七年の月日を過して、料《はか》らずも君にめぐりあひ候ひぬ。君はこよひの舞臺にて、むかし羅馬の通衢《ちまた》を驅《か》るに凱旋の車をもてせしアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]がいかに賤客に嘲《あざけ》られ、口笛吹きて叱責せられたるかを見そなはし給ひしなるべし。私は運命の蹙《せば》まりしと共に、胸狹くなりしを自ら覺え居候。扨《さて》見苦しき假住ひに御尋下され候時、我目を覆ひし面紗《ヱエル》の忽ち落つるが如く、君の初より眞心もて我を愛し給ひしことを悟り候ひぬ。汝こそは我を風塵中に逐ひ出しつれとは、君の御詞なりしかど、私のいかに君を慕ひまゐらせ、いかに君の方《かた》へ手をさし伸べ居たりしをば、君のしろしめさゞりしを奈何《いかに》かせん。私は再び君に見《まみ》ゆることを得て、君の温なる唇を我手背に受け候ひぬ。今や戸外に送りいだしまゐらせて、私は再び屋根裏の一室に獨坐し居り候。この室をば直ちに立退き申すべく、此ヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]をも直ちに立去り申すべく候。アントニオ[#「アントニオ」に傍線]の君よ。願はくは我が爲めに徒《いたづ》らに歎き悲み給ふな。私は世には棄てられ候へども、聖母《マドンナ》は私を護り給ふこと、君を護り給ふに同じかるべく候。アントニオ[#「アントニオ」に傍線]の君よ、さきには我を思ひ棄て給へと申候へども、未錬ともおぼさばおぼせ、猶親しかりし人のみまかりしを思ひ給ふが如く、我を思ひ給はんことのみは望ましく存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145−中−19]。
[#ここで字下げ終わり]
涙は讀むに隨ひて流れ、わが心の限の涙と化して融け去るを覺えたり。此より下は、かすかなる薄墨の痕猶|新《あらた》にして、數日前に寫されしものと知らる。
[#ここから1字下げ]
苦を受くる月日も最早|些子《ちと》を餘し候のみと存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145−中−25]。今まで受けつるあらゆる快樂の聖母の御惠なると等しく、今まで受けつるあらゆる苦痛も亦聖母の御惠と存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145−中−27]。死は既に我胸に迫り候。血は我胸より漲り流れ候。いま一囘轉して漏刻の水は傾け盡され申すべく候。人の傳へ候ところに依れば、ヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]第一の美人は君がいひなづけの妻となり居候由に候。私の死に臨みての願は、御二人の永く幸福を享《う》け給はんことのみに候、あはれ、此數行の文字を托すべき人は、その人ならで又誰か有るべき。その人の私の請《こひ》を容れて、こゝに來給ふべきをば、何故か知らねど、牢《かた》く信じ居※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145−下−8]。生死の境に浮沈し居る此身の、一杯の清き水を求むべき手は、その人の手ならではと存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145−下−10]。さらば/\、アントニオ[#「アントニオ」に傍線]の君よ。私の此土に在りての最終の祈祷、彼土に往きての最初の祈祷は、君が御上と、私の徒《いたづ》らに願ひてえ果さず、その人の幸ありて成し遂げ給ふなる、君が偕老の契《ちぎり》の上とに在るのみなることを、御承知下され度存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145−下−15]。今更|繰言《くりごと》めき候へども、聖母の我等二人を一つにし給はざりしは、其故なからずやは。私は世人にもてはやされ讚め稱《たゝ》へられて、慢心を増長し居候ひぬれば、君にして當時私を娶《めと》り給ひなば、君の生涯は或は幸福を完うし給ふこと能はざりしにあらずやと存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145−下−21]。さらば/\、アントニオ[#「アントニオ」に傍線]の君よ。過ぎ去りしは苦痛、現然せるは安樂にして末期は今と存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145−下−23]。アントニオ[#「アントニオ」に傍線]の君よ。又マリア[#「マリア」に傍線]の君よ。私の爲めに祈祷し給へかし。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]。
悲歎の極には聲なく涙なし。我は茫然として涙に濡れたる遺書を瞠視《だうし》すること久しかりき。暫しありて、猶封中より落ち散りたりし一ひら二ひらの紙を取り上げ見れば、一はわが拿破里《ナポリ》に往くとしるして、フルヰア[#「フルヰア」に傍線]のおうなに渡しゝ筆の蹟《あと》なり。又一はベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]がアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]に與へし文にして、負傷の爲めに床に臥したりし程の、懇《ねんごろ》なる看護の恩を謝し、今はよしなき望を絶ちて餘所の軍役に服せんとおもへば、最早羅馬にて相見ることはあらじと書せり。嗚呼、おもひの外の事どもなるかな。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は初より我を戀ひたりしなり。我が拿破里に往くことを得しは、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の惠なりしなり。拿破里の旅店より書を寄せて、相見んことを求めしはアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]にしてサンタ[#「サンタ」に傍線]にはあらざりしなり。その恩情|窮《きはまり》なきアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は今や亡き人となりしなり。さるにてもアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]はマリア[#「マリア」に傍線]を病床に招き寄せて、いかなる事を物語りし。既にマリア[#「マリア」に傍線]をわがいひなづけの妻といへば、巷説は早くアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の病床に聞え居りて、マリア[#「マリア」に傍線]さへ其口より、さがなき人の言草《ことぐさ》を聞きつるなるべし。再びマリア[#「マリア」に傍線]の面を見んは影護《うしろめた》き限なれども、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の爲めにも我が爲めにも天使に等しきマリア[#「マリア」に傍線]に、一ことの謝辭を述べずして止まんやうなし。
舟を倩《やと》ひて市長《ボデスタ》の家に往きしに、ロオザ[#「ロオザ」に傍線]とマリア[#「マリア」に傍線]とは一と間の中にありて手仕事に餘念なかりき。我はしばし相對して物語しつれど、心に言はんと欲する事の、口に言ひ難ければ、問はるゝことあるごとに、あらぬ答をのみしたりき。ロオザ[#「ロオザ」に傍線]は忽ち我手を把《と》りて口を開きて云ふやう。おん身は深き憂に沈み居給ふとおぼし。われ等の君がまことの友たるを知り給はゞ、打開けて物語し給へと云ふ。われ。さなり。君は何事をも知り給ふならん。ロオザ[#「ロオザ」に傍線]。否われは未だ何事をも知らず。マリア[#「マリア」に傍線]こそは聞きつることもあらめ。(マリア[#「マリア」に傍線]は鼻じろみて、その詞を遮らんとしたり。)われ。おん身二人には、われ又何事をか隱し候ふべき。初よりの事のもとすゑを打開けんも我が心やりなれば、煩はしけれど聞き給へとて、われは昔語《むかしがたり》をぞ始めける。よるべなき孤《みなしご》なりし生立《おひたち》より、羅馬にてアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]と相識り、友なりけるベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]を傷けて、拿破里に逃れ去りし慘劇まで、涙と共に語り出でしに、可憐なるマリア[#「マリア」に傍線]の掌《たなそこ》を組合せて、我面を仰ぎ見るさま、我記憶の中に殘れるフラミニア[#「フラミニア」に傍線]が姿に髣髴《さもに》たり。われはマリア[#「マリア」に傍線]が面前にありて、ララ[#「ララ」に傍線]が事、琅※[#「王+干」、第3水準1−87−83]洞《らうかんどう》の事のみは、語ることを憚りたれば、直ちにヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]にての再會の段に移りて、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の末路を敍し畢《をは》りぬ。ロオザ[#「ロオザ」に傍線]。おん身の上に、さる深き關繋あるべきをば、初め少しも知らざりき。さきの日尼寺の病室より、識らぬ女の文とゞきて、今生死の際に在るものなるが、マリア[#「マリア」に傍線]に逢ひて申し殘したき事ありといへば、舟にてかしこに伴ひゆき、われは尼達の許に留まりて、マリア[#「マリア」に傍線]を病人の室に遣りぬ。マリア[#「マリア」に傍線]。かくてその人に逢ひ侍りぬ。記念《かたみ》の一封をばさきに渡しまゐらせつ。我。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]はその時何とか申し候ひし。マリア[#「マリア」に傍線]。人知れずこれをアントニオ[#「アントニオ」に
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