`ア[#「ヱネチア」に二重傍線]に向へり。

   水の都

 曉に起きて望めば、前面早く家々の壁と寺塔とを辨ずることを得たり。そのさま譬へば帆を揚げたる無數の舟の横に列《つらな》れるが如し。左のかたにはロムバルヂア[#「ロムバルヂア」に二重傍線]の岸の平遠なる景を畫けるあり。遙に地平線に接してはアルピイ[#「アルピイ」に二重傍線]の山脈の蒼靄《さうあい》に似たるあり。われはこれを望みて、彼蒼《ひさう》の廣大なるを感ぜり。天球の半《なかば》は一時に影を我心鏡に映ずることを得たるなり。
 爽涼なる朝風は我感情を冷却せり。我は心裡《しんり》にヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の歴史を繰り返して、その古《いにしへ》の富、古の繁華、古の獨立、古の權勢|乃至《ないし》大海に配《めあは》すといふ古の大統領《ドオジエ》の事を思ひぬ。(ヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]共和國に「ドオジエ」を置きしは、第八世紀より千七百九十七年に至る。)既にして舟は漸く進み、鹹澤《かんたく》(ラグウナ)の上なる個々の人家を見るに、その壁は黄を帶びたる灰色を呈し、古代の樣式にもあらず、又近時の設計にもあらねば、要するに好觀にあらざりき。名に聞えたるマルクス[#「マルクス」に傍線]の塔は思ひしよりも高からず。舟は陸と鹹澤との間を進めり。後なるものは曲りたる堤の如く、海中に斗出《としゆつ》したり。土地は全體極めて卑《ひく》しとおぼしく、岸の水より高きこと僅に數寸なるが如し。偶※[#二の字点、1−2−22]數戸の小屋の群を成せるあれば、指ざして市《フジナ》と云ふ。こゝかしこには一叢《ひとむら》の木立あり。其他は渾《すべ》て是れ平地なりき。
 われはヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の既に甚だ近きを覺えしに、今|傍人《かたへびと》に問へば猶一里ありと答ふ。而して此一里の間は、皆|瀦留《ちよりう》せる沼澤《せうたく》の水のみ。處々には泥土の島嶼《たうしよ》の状《さま》をなして頭を露《あらは》せるあり。その上には一鳥の足を留むるなく、一莖の草の萌え出づるなし。沼澤の中に、深き渠《みぞ》を穿ちて、杭を立て泥を支ふるあり。是れ舟を行《や》る道なり。われは始て「ゴンドラ」といふ小舟を見き。皆黒塗にして、その形狹く長く、波を截《き》りて走ること弦《つる》を離れし箭《や》に似たり。逼《せま》りて視れば、中央なる船房にも黒き布を覆《おほ》へり。水の上なる柩《ひつぎ》とやいふべき。拿破里《ナポリ》の水は岸に近づきても猶藍いろなるに、こゝは漸く變じて汚れたる緑となれり。偶※[#二の字点、1−2−22]《たま/\》一島の傍を過ぐるに、その家々は或は直ちに水面《みのも》より起れる如く、或は廢《すた》れたる舟の上に立てる如し。最も高き石壁の頂に、幼き耶蘇《やそ》を抱ける聖母《マドンナ》の御像《みざう》ありて、この荒涼なる天地を眺め居給ふ。水の淺きところは、別に一種の鴨緑《あふりよく》色をなして、一面深き淵に接し、一面は黒き泥土の島に接す。日は明《あか》くヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の市《まち》を照して、寺々の鐘は皆鳴り響けり。されど街衢《がいく》は闃《げき》として人影なきに似たり。船渠《せんきよ》を覗へば、只だ一舟の横《よこたは》れるありて、こゝにも人を見ざりき。
 我は身を彼水上の柩《ひつぎ》に托して、水の衢《ちまた》に入りぬ。樓屋軒をならべて石階の裾《すそ》は直ちに水面に達し、復た犬ばしり程の土をだに着けず。家々の穹窿門《きゆうりゆうもん》は水に架して橋梁の如く、中庭は大なる井の如し。この中庭には舟に帆掛けて入るべけれど、舳艫《ぢくろ》を旋《めぐら》さんことは難《かた》かるべし。海水はその緑なる苔皮《たいひ》をして、高く石壁に攀《よ》ぢ登らしめ、巍々《ぎゝ》たる大理石の宮殿も、これが爲めに水中に沈まんと欲する状《さま》をなし、人をして危殆《きたい》の念を生ぜしむ。況《いはん》や金薄《きんぱく》半ば剥げたる大窓の※[#「※[#第4水準2−13−74] 」の「斤」に代えて「りっとう」、132−中段−24]《けづ》らざる板もて圍まれたるありて、大廈の一部まことに朽敗《きうはい》になん/\としたるをや。既にして梵鐘《ぼんしよう》は聲を斂《をさ》めて、※[#「楫+戈」、第3水準1−86−21]《かぢ》の水を撃つ音より外、何の響をも聞かずなりぬ。われは猶未だ人影を見ずして、只だ美しきヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の鵠《はくてう》の尸《かばね》の如く波の上に浮べるを見るのみ。
 舟は轉じて他の水路に入りぬ。その幅頗る狹くして石橋あまたかゝれり。こゝには人ありて、或は橋を渡りて家の間に隱れ、或は石壁の門を出入す。されど街と名づくべきものは、水路の外有ることなし。舟人の棹《さを》を留めたるとき、われは何處に往くべきぞと問ひぬ。舟人は家と家との間を通ずる、橋の側なる隘《せば》き巷《こうぢ》を指ざし教へつ。兩邊の家に住める人は、おの/\六層樓上の窓を開いて、互に手を握ることを得べく、この日光を受けざる巷は、僅に三人の並び行くことをゆるすなるべし。我舟は既に去りて、身邊また寂《せき》として人を見ず。
 あはれヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]とは是か、海の配偶と云ひ、世界第一の富強者と云ひしヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]とは是か。われは名に聞えたるマルクス[#「マルクス」に傍線]の廣こうぢに入りぬ。こはヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の心胸と稱すべき處にして、國の性命は此《こゝ》に存ずといふなるに、その所謂《いはゆる》繁華は羅馬のコルソオ[#「コルソオ」に二重傍線]に孰與《いづれ》ぞ、又拿破里《ナポリ》の市に孰與ぞ。石の迫持《せりもち》の下なる長き廊道《わたどのみち》には、書肆《しよし》あり珠玉店あり繪畫鋪あれども、足を其前に留むるもの多からず。唯だ骨喜店《カツフエエ》の前には、幾個の希臘人、土耳格《トルコ》人などの彩衣を纏ひて、口に長き烟管《きせる》を啣《ふく》み、默坐したるあるのみ。日は「マルクス」寺の星根の鍍金《めつき》せる尖《さき》と寺門の上なる大いなる銅馬《どうめ》とを照して、チユペルス[#「チユペルス」に二重傍線]、カンヂア[#「カンヂア」に二重傍線]、モレア[#「モレア」に二重傍線]等の舟の赤檣《せきしやう》の上なる徽章ある旗は垂れて動かず。數千の鴿《はと》は廣こうぢを飛びかひて、甃石《いしだたみ》の上に※[#「求/食」、第4水準2−92−54]《あさ》れり。
 われは進みてポンテ、リアルトオ[#「ポンテ、リアルトオ」に二重傍線]に到りて、いよ/\斯《この》土の風俗を知りぬ。ヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]は大いなる悲哀の郷なり、我主觀の好き對象なり。而して此郷の水の上に泛《うか》べること、古のノアの舟と同じ。われは小き舟を下りて、この大いなる舟に上りしなり。
 日の夕となりて、模糊として力なき月光の全都を被《おほ》ひ、隨處に際立ちたる陰翳《いんえい》を生ぜしとき、われはいよ/\ヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の眞味を領略することを得たり。死せる都府の陰森《いんしん》の氣は、光明に宜しからずして幽暗に宜しければなり。われは客亭の窓を開いて立ち、黒き小舟の矢を射る如く黒き波を截《き》り去るを望み、前《さき》の舟人の歌ひし戀の歌を憶ひ起せり。われは此時アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]を恨みき。いかなれば彼佳人は我を棄てゝベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]に奔《はし》りしぞ。こは誠實を去りて輕薄に就きしにあらずや。われは此時フラミニア[#「フラミニア」に傍線]をさへ恨みき。いかなれば彼|少女《をとめ》は我を棄てゝ尼寺に入りしぞ。こは情愛を去りて平和に就きしにあらずや。我胸は一種の言ふべからざる空虚を感じたり。我胸はあらゆる我を喜ばせしものとあらゆる我を慰めし者とを一掃して去らんと欲せり。然るにかく思議する間、終始我心目の前に往來するものは、可哀《かはゆ》きララ[#「ララ」に傍線]と罪深きサンタ[#「サンタ」に傍線]との面影なりき。われは蹣跚《まんさん》として階《きざはし》を下り、舟を喚《よ》びて水の衢《ちまた》を逍遙せり。二人の柁手《こぎて》は相和して歌ふ。其歌は古の恢復せられたるエルザレム[#「エルザレム」に二重傍線](ジエルザレムメ、リベラアタ)の調にあらず、大統領《ドオジエ》の族《うから》絶えて、獅子の翼の外人《よそびと》に縛せられてより、ヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の民はその歌謠の上の國粹をさへ失ひつるなり。われは獨語して、いでや人生の渦裏に投じて、人生の樂《たのしみ》を受用し、誓ひて餘瀝なからしめんと云ふとき、舟はもとの旅館の階下に留まりぬ。われは又蹣跚として階を上り、おぼつかなき孤客の夢を結びぬ。

   颶風

 羅馬より齎《もたら》したる紹介状は、我をして相識を得しめ、我をして所謂朋友あらしめたり。人々は我を「アバテ」と喚べり。我言の善きをば人皆褒め、我|才《ざえ》をば人皆稱せり。羅馬なる恩人は常に我に不快なる事を告げ、中にはことさらに我に快からざるべき事どもを探り覓《もと》めて、そを我に告ぐる如くなりしに、今はさる詞を耳にすることなし。羅馬にては常に長上にのみ交ることゝて、フラミニア[#「フラミニア」に傍線]の姫の情あるすら、我をして抑壓の苦を忘れしむること能はざりしに、今は心にさる負荷《おひに》を覺ゆることなし。苦言を聞かざるは、信ある友なきなりといへば、こゝには信ある友は絶て無きなるべし。
 われは大統領《ドオジエ》の館《たち》の輪奐《りんくわん》の美を討《たづ》ねて、その華麗を極めたる空《むな》しき殿堂を經※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《へめぐ》り、おそろしき活《いき》地獄の圖ある鞠問所《きくもんじよ》を觀き。われは彼四面皆|塞《ふさが》りたる橋の、小舟通ふ溝渠の上に架せられたるを渡りぬ。是れ館より牢獄に往く道にして、名づけて歎息橋と曰ふとぞ。橋に接する處は即ち牢井《らうせい》なり。廊《わたどの》に點じたる燈火《ともしび》は僅かに狹き鐵格《てつがう》を穿ちて、最上層の獄《ひとや》を照し出せり。此層の如きは、これを下層に比するときは、猶晴やかなる房《へや》と稱すべきならん。濕《うるほ》ひて菌《きのこ》を生じたる床は、※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1−92−55]《はるか》に溝渠の水面の下にあり。あはれ、此房の壁は幾何《いくばく》の人の歎息と叫喚とを聞きつる。われは慴然《せふぜん》として肌膚《きふ》の粟《あは》を生ずるを覺え、急に舟を呼んで薄赤いろなる古宮殿、獅子を刻める石柱の前を過ぎ、鹹澤《かんたく》の方に向ひぬ。舟の指すところは即ち所謂|岸區《リド》なりき。
 われは岸區に近づくとき、何物をか見し。ここには一の大いなる墓田ありき。外國人《とつくにびと》と新教徒とは、この水と水とに挾まれたる一帶の土の、殆ど時々刻々洗ひ去らるゝ状《さま》をなせる處に埋めらるゝなり。白き人骨は沙《いさご》の表に露《あらは》れて、これが爲めに哭《こく》するものは、只だ浪の音あるのみ。
 漁父の危きを冒して沖に出でたるとき、その妻そのいひなづけの妻などの、坐して夫の舟の歸るを待つは、此岸區なりといふ。颶風《ぐふう》の勢少しく挫《くじ》けたるとき、こゝに坐したる女子《をみなご》の、彼恢復せられたるエルザレム[#「エルザレム」に二重傍線]中の歌を歌ひ、耳を傾けて夫の聲のこれに應ずるや否やを覗《うかゞ》ひしこと幾度ぞ。さるをその懷《なつ》かしき夫の聲の終に應ずることなく、可憐の女子の獨り不言の海に對して口は復た歌ふこと能はず、目は空しく沙上の髑髏《されかうべ》を見、耳は徒らに岸打浪《きしうつなみ》の音を聞きて、暮色の漸く死せる古都を掩《おほ》ふを覺えしこと又幾度ぞ。
 この暗澹たる畫圖は我心目に上りて消えず、我情調はこれに一層の悲慘の色を添へんとせり。わが對するところの自然は、無常と歴劫《れきごふ》との觀を惹《ひ》き
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