キるが好しとおもひ給ふなれば、そは奈何ともし難けれど、總ておん身を惡《あ》しとおもひ給ひてにはあらず。殊に母上の我に對しておん身を譽め給ふ御詞をば、おん身に聞せまほしきやうなり。師の尼君の宣給《のたま》ふに、おほよそ人と生れて過失なきものあらじとぞ。憚《はゞかり》あることには侍れど、おん身にも總て過失なしとはいひ難くや侍らん。例之《たとへ》ばおん身は、いかなれば一時怒に任せて、彼美しき詩を焚《や》き給ひし。われ。そは世に殘すべき價なければなり。唯だ焚くことの遲かりしこそ恨なれ。姫。否々、われは世の人の心の險《けは》しきを憶《おも》ひ得たり。靜かなる尼寺の垣の内にありて、優しき尼達に交らんことの願はしさよ。われ。げに君が淨き御心にては、しかおもひ給ふなるべし。我心は汚れたり。惠の泉の甘きをば忘れ易くして、一滴の毒水をば繰返して味ふこと、まことに罪深き業《わざ》にこそ侍らめと答へぬ。
この館《たち》には一人として我を憎むものなし。されど尼寺の心安きには似ず。こは小尼公《アベヂツサ》の獨り我に對し給ふとき、屡※[#二の字点、1−2−22]宣給ひし詞なり。われはこの姫をもて我感情の守護神、わが清淨なる思想の守護神とし、漸くこれに心を傾けつ。想ふに姫の歸り來給ひしより、館の人々の我を遇し給ふさま、面色よりいはんも語氣よりいはんも、著《いちじろ》く温和に著く優渥《いうあく》なるは、この優しき人の感化に因るなるべし。
姫は數※[#二の字点、1−2−22]《しば/\》我をして平生の好むところを語らしめ給ひぬ、詩を談ぜしめ給ひぬ。興に乘じて古人の事を談ずるときは、われは自ら我辯舌の暢達《ちやうたつ》になれるに驚きぬ。姫はもろ手の指を組み合せて、我面を仰ぎ見給ふ。姫。おん身の如く詩をもて業とするは、まことに人生の幸福なるべし。されど神の預言者たるべき詩人の、神の徳、天國の平和をば歌はで、人の業、現世の爭奪を歌ふは何故ぞ。おん身は世の人に福《さいはひ》を授け給ふことも多かるべけれど、又禍を遺し給ふことも少からざるならん。われ。否、詩人の人を歌ふは隨即《やがて》神を歌ふなり。神は己れの徳を表さんとて、人をば造り給ひしなり。姫。おん身の宣給ふところには、わが諾《うべな》ひ難き節あれど、われは我心を明《あか》すべき詞を求め得ず。人の心にも世のたゝずまひにも、げに神の御心は顯《あらは》れたるべし。さればそを指《ゆびさ》し示して、世の人をして神の懷に歸り入らしめんこそ、詩人の務とはいふべけれ。さるを却りて世の人を驅りて、おそろしき呑噬《どんぜい》爭奪の境界に墮ちしめんとする如くなるは、好しとはおもはれず。そは兎まれ角まれ、おん身はいかにして即興の詩を歌ひ給ふか。われ。題を得るときは思想は招かずして至るものなり。姫。さなり。其思想は神の賜ふ所なること人皆知る。されどそを句とし章とし、それに美しき姿しらべを賦《ふ》し給ふは奈何《いかに》。われ。君は尼寺に居給ふとき、「プサルモス」の歌を聽き、又古の聖《ひじり》の上を綴りたる韻語を學び給ひしならん。さてある時端なく一の思想の浮び出づるに逢ひて、これと與《とも》に曾て聞ける歌、曾て聞ける韻語を憶《おも》ひ得給ひしことはあらずや。憾《うら》むらくは、おん身はかゝる機會を逸し給ひて、筆とりて其思想を寫さんことを試み給はざりしなり。おん身若しそを試み給ひしならば、思想の全き形の心頭に顯れたるものは凝りて散ぜず、句は句を生じ章は章を生じ、詩は無意識の間になりしならん。こは唯だ我一人の經驗ながら、詩人の製作といふものはかくあらんとおもふなり。われは詩を作るごとに、我詩の前世の記憶の如く、前身の搖籃中にて聞きし歌の名殘の如きを感ず。われは創作すと感ぜず、われは復誦すと感ず。姫。その思想といふものも、いかなるが詩となすに宜《よろ》しかるべきか知るよしなけれど、わが尼寺にありし時、ふと物の懷《なつ》かしき如き情、遠きに騁《は》する如き情の胸に溢るゝことあり。その懷かしきは何ぞ、その騁するは何をあてぞといはば、われ自ら答ふるところを知らず。されど夢に吾夫《わがつま》たるべき耶蘇《やそ》を見、又|聖母《マドンナ》を見るときは、我心はこれに慰められたり。かゝる情も詩となるべしや否や、覺束《おぼつか》なし。館《たち》に歸りての後は、耶蘇聖母の夢に見え給ふこと稀にして、華やかなる浮世の事、罪深き人間の事のみ夢に入りぬ。されば唯だ尼寺に返らんことこそ願はしけれ。アントニオ[#「アントニオ」に傍線]よ。おん身は親しき友なれば告ぐべし。われはこの頃漸く心の汚れんとするを覺ゆるなり。そは粧ひ飾らんとする願起りて、人の美しと褒むるが喜ばしくなれるにて知らる。尼寺の人々に知られなば、何とかいはれん。われ。世に君の如く淨き心あるべしや。われは唯だ我心の君に似ざるを愧《は》づるのみ。今我目もて見るときは、君の心の淨さは、昔|穉《をさな》くて此御館に居給ひし日に殊ならず。(われはかく言ひて姫の手に接吻せり。)姫。その頃おん身の我を抱き給ひしこと、我が爲めに畫かきて賜はりしことをば、まだ忘れ侍らず。われ。おん身の其畫を看畢《みをは》りて、破《や》り棄て給ひしをも、われは忘れず。姫。そを憎しとおもひ給ひしや。われ。世の人は我胸中なる美しき繪の限を破り棄てぬれど、われはそれすら憎むことなし。
わが小尼公《アベヂツサ》に親む心は日にけに増さり行きぬ。われは世の人の皆我敵にして、唯だ小尼公のみ身方《みかた》なるを覺えき。
落飾
暑き二箇月の間は、館《たち》の人々チヲリ[#「チヲリ」に二重傍線]に遊び給ひぬ。わがその群に入ることを得つるは、恐らくは小尼公の緩頬《くわんけふ》に由れるなるべし。橄欖《オリワ》の茂き林、石走《いははし》る瀧津瀬《たきつせ》など、自然の豐かに美しき景色の我心を動すことは、嘗てテルラチナ[#「テルラチナ」に二重傍線]に來て始て海を觀つる時と殊なることなかりき。この山のたゝずまひ、この風の清く涼しきに、我は復たナポリ[#「ナポリ」に二重傍線]の夢を喚び起すことを得たり。我は羅馬《ロオマ》の塵多き衢《ちまた》、焦げたるカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野、汗流るゝ午景を背にせしを喜びて、人々の我を伴ひ給ひしを謝したり。
小尼公の侍女と共に驢《うさぎうま》に騎《の》りてチヲリ[#「チヲリ」に二重傍線]の谷間に遊び給ふときは、我はこれに隨ひ行くことを許されたり。姫は頗る自然を愛する情に富みて、我に些の寫生を試みしめ給ひぬ。荒漠たるカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野の盡くるところに、聖彼得《サン、ピエトロ》寺の塔の湧出したる、橄欖の林、葡萄の圃《はたけ》の緑いろ濃く山腹を覆ひたる、瀑布幾條か漲《みなぎり》り墮《お》つる巖の上にチヲリ[#「チヲリ」に二重傍線]の人家の簇《むらが》りたるなど、皆かつがつ我筆に上りしなり。
終の圖に筆を染むる時、姫の宣給《のたま》ふやう。かく麓より眺むれば、この落ちたぎつ水の勢は、早晩《いつか》巖石を穿ち碎き、押し流して、その上なる人家も底《そこひ》なき瀧壺に陷らずやと怖しく思はると宣給ふ。われ。まことに宜給ふ如し。されどそを憂へずして、彼家々に栖《す》める人の笑ひ樂みて日を送れるこそ神の惠ならめ。神は憫《あはれ》むべき人類のために、おそろしき地下のさまを掩ひ隱し給ふとおぼし。君は此水をすらおそろしと見給へども、ナポリ[#「ナポリ」に二重傍線]の市《まち》の地下のさまはいかなるべきか。此は水なり、彼は火なり。かしこの民は、沸き返る熔巖《ラワ》の釜の上に生涯を送れるなりと答へぬ。我又語を繼ぎて、ヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]の火山の形、わが其|巓《いたゞき》に登りし時の事、エルコラノ[#「エルコラノ」に二重傍線]とポムペイ[#「ポムペイ」に二重傍線]との來歴など、姫に聞えまつりしに、姫は耳を傾け給ひて、館に還りての後、猶|大澤《たいたく》の彼方《あなた》の珍らしき事どもを語り聞せよと宣給ひぬ。
姫は海のいかなるものなるを想ひ見ること能はずと宣給ふ。そは親しく海と云ふ者を觀給ひしは唯一たびにて、それさへ山の巓より、地平線を限れる一帶の銀色したる物を認め給ひしに過ぎざればなり。われは姫に告げて、まことの海原は我脚底に又一の碧空を視る如しと云ひしに、姫は手を組み合せて、神の此世界を飾り給ひしことの極みなく奇《く》しきをたゝへ給ひぬ。この時我は、その奇しく妙《たへ》なる世界を背にして、狹き尼寺の垣の内に籠らんとし給ふ御心こそ知られねと云はんと欲せしが、姫の思ひ給はん程のおぼつかなくて默《もだ》しつ。ある日姫と我等とは、荒れたる神巫寺《みこでら》の傍に立ちて雲霧の如く漲り下る二條の大瀑《たいばく》を下瞰《みおろ》したり。一道の白き水烟は、小暗《をぐら》き林木を穿ちて逆立し、その末は青き空氣の中に散じ、日光はこれに觸れて彩虹を現じ出せり。側なる小瀑《カスカテルラ》の上なる岩窟には、一群の鴿《はと》ありて巣を營みたり。その時ありて大いなる圈《わ》を畫きて、我等の脚下を飛ぶや、噴珠と共に亂れて、見る目まばゆき程なり。姫は歎賞すること久しうして、我に即興を求め給へり。われは平生|夢寐《むび》の間に往來する所の情の、終に散じ終に銷《せう》すること此飛泉と同じきを想ひて、忽ち歌ひ起していはく。人生の急湍《きふたん》は須臾《しゆゆ》も留まることなし。太陽同じく照すといへど、一滴一沫よりして見れば、その光を仰ぎその温を被らざるあり。惟《た》だ美妙の大光明は全景を覆ひ盡すのみと云ひぬ。姫は我歌を遮り留めて、止めよ、われは悲傷の詞を聞かんことを願はず、汝が心まことに樂しからずば、姑《しばら》く我が爲めに歌ふことを休《や》めよと宣給ひぬ。
姫の我を信じ給ふことの厚きは、我が姫を信ずることの厚きに殊ならず。ある時姫の詞に、いかなる故とも知る由なけれど、館に往來《ゆきき》する他の男子には語り難き事をも、おん身には語り易し、御身の親しきは父母に劣らざる心地すといはれしことあり。されば我もまた心を置かで、何くれとなく物語するやうになりぬ。幼かりし日の事を語りて、地下の石窟《いはむろ》に入りて路を失ひし話よりジエンツアノ[#「ジエンツアノ」に二重傍線]の花祭に老侯の馬車の我母を轢殺《ひきころ》せし話に至りしときは、姫の驚|一方《ひとかた》ならざりき。姫は我手を※[#「てへん+參」、125−上段−13]《と》りて、我面を打目守《うちまも》り、その事をば館の人々まだ一たびも我に告げざりき、さては我|族《うから》の御身に負ふ所はいと大いなりと宣給ひぬ。カムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の媼《おうな》ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]には、姫深き同情を寄せ給ひて、おん身は定めて今も怠らずおとづれ給ふなるべしと宣給ひぬ。われは少しく心に恥ぢながら、去年は唯だ二たび訪ひしのみなれど、彼方より尋ね來たるごとに、些《ちと》の小づかひ錢をば分ち與ふるを例とすと答へぬ。
われは姫に促されて、我自傳を語りつゞけ、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]の上に及び、又アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の上に及びぬ。されど我面に注ぎたる姫の涼しき目は、我をして縱《ほしいまゝ》に戀愛を説き嫉妬を説くこと能はざらしめき。われは話題を轉じてナポリ[#「ナポリ」に二重傍線]の紀行に入り、ララ[#「ララ」に傍線]の事を語り、こたびは又サンタ[#「サンタ」に傍線]の事にさへ及びぬ。
最も姫の心に※[#「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1−84−56]《かな》ひしはララ[#「ララ」に傍線]なり。姫の宜給ふやう。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は美しくもありしなるべく、賢《さか》しくもありしなるべし。されど面を公衆の前に曝《さら》すことを憚《はゞか》らず、浮薄なる貴公子を戀ひ慕へるなど、われはいかなる詞もて評すべきを知らぬながら、その人のおん身の妻とならざりしをば喜ぶなり。ララ[#「ララ」に傍線]はこれに異《こと》にて、ま
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