千《いくち》の人か、これによりて我を嘲り我を侮《あなど》るべけれど、猶良心に責められんには※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1−92−55]《はるか》に優れり。壁の上なる聖母《マドンナ》は、我を墮《おと》さじとてこそ自ら墮ち給ひけめ。斯く思ふにつけて、聖母の惠の袖に掩《おほ》はれつゝ、水をも火をも避け得つべき喜は一身に溢れ、心の中に有りとあらゆる善なるもの正なるものは一齊に凱歌を奏し、我は復《ま》た心の上の小兒となりぬ。天に在《いま》す父よ、願はくは禍《わざはひ》を轉じて福《さいはひ》となし給へと唱へつゝ、身を終ふるまでの安樂の基《もとゐ》を立てもしたらん如く、足は心と共に輕く、こゝの小都會を歩み過ぎて、田圃《たんぼ》間《あひ》の街道に出でぬ。
人叫び、人笑ひ、人歌ひ、徒《かち》にて走るものあり、大小くさ/″\の車を驅るものあり。その騷しさ言はん方なし。熔巖《ラワ》の流は今しも山麓なる二三の村落を襲へるなり。一群の老若男女ありて奔《はし》り逃れんとす。左に嬰兒を抱き、右に裹《つゝ》みを挾《わきばさ》める村婦の、且泣き且走るあり。われは財嚢《ざいのう》を傾けてこれに贈りぬ。われは山に向ふ看者《みて》の間に介《はさ》まりて、推《お》されながらも、白き石垣もて仕切りたる葡萄圃《ぶだうばたけ》の中なる徑《こみち》を登り行きぬ。衆人は先を爭ひて、熔巖の將に到らんとする部落の方へと進めり。われは數畝の葡萄圃を隔てゝ、始て熔巖を望み見たり。數間《すけん》の高さなる火の海は墻《まがき》を掩ひ屋《いへ》を覆ひて漲り來れり。難に遭へるものは號泣し、壯觀に驚ける外國人《とつくにびと》は讙呼《くわんこ》して、御者商人などは客を招き價を論ぜり。馬に跨れる人あり、車を驅れる人あり、燒酎|鬻《ひさ》ぐ露肆《ほしみせ》を圍みて喧譟《けんさう》せる農夫の群あり。凡そ此等のもの總て火光に照し出されたれば、そのさま筆舌もて描き盡すべからず。
熔巖は同じ嚮《むき》に流れ行くものなれば、好事《かうず》のものは歩み近づきて迫り視ることを得べし。杖の尖《さき》又は貨幣などを※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]込《さしこ》みて、熔巖の凝りて着きたるを拔き出し、こを看たる記念にとて持ち行くものあり。流れ下る熱質の一部、その高きが爲めに分れて迸り落つることありて、その奇觀は岸|拍《う》つ波に似たり。その落ちて地上に留まるや、猶暫くその火紅を存じて、銀河の側に輝く星を看る如し。既にして空氣は漸くその隅角と周縁とを冷却して黒變せしめ、そのさま黒き絲もて編める網に黄金を裹《つゝ》める如し。
熔巖の流れ行く先なる葡萄の幹に聖母《マドンナ》の像を懸《か》けたるものあり。こはその功徳《くどく》もて熔巖の炎を避けんとのこゝろしらひなるべし。されど熔巖はその方嚮《はうかう》を改めず。像を懸けたる一本《ひともと》の葡萄は、早く熱のために葉を焦《こが》し、その幹は傾きて、首を垂れ憐を乞ふ如くなり。衆人《もろひと》の中なる淳樸《じゆんぼく》なる民等が眼は、その發落《なりゆき》いかならんとこの尊き神像に注げり。幹は愈※[#二の字点、1−2−22]曲り低《た》れて、今や聖母《マドンナ》のおほん裳裾《もすそ》と火の流との間數尺となりぬ。忽ち我が立てる側なるフランチスクス[#「フランチスクス」に傍線]派の一僧ありて、もろ手高くさし上げて叫べり。聖母は火に燒かれ給はんとす。汝等を永劫不滅の火焔の中より救ひ給ふ聖母なるぞ。早や助け出さずやといふ。衆人は皆震慄して一歩退き、畏怖の眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》りて、次第に撓《たわ》む梢頭の尊像を仰げり。一人の女房あり。口に聖母の御名《みな》を唱へつゝ、走りて火に赴きて死せんとす。爾時《そのとき》僅に數尺を剩《あま》したる烈火の壁面と女房との間に、馬を躍らして騎《の》り入りたる一士官あり。手に白刃を拔き持ちてかの女房を逐ひ郤《しりぞ》け、大音に呼びけるやう。物にや狂ふ、女子《をなご》、聖母《マドンナ》爭《いか》でか汝が援《たすけ》を求めん。聖母は彼|拙《つたな》く彩《いろど》りたる、罪障深きものゝ手に穢《けが》されたる影像の、灰燼となりて滅せんことをこそ願ふなれといふ。その聲はベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が聲なり。その行《おこなひ》は※[#「倏」の「犬」に代えて「火」、第4水準2−1−57]忽《しゆくこつ》の間に一人の命を助けて、その言は俗僧の妄誕《ばうたん》をいましめ得たるなり。われはこの昔の友を敬する念を禁ずること能はずして、運命の我等二人を遠離《とほざ》けしを憾《うらみ》とせり。されど我胸は高く跳りて、今|渠《かれ》に對《むか》ひて名告《なの》り合ふことを欲せず、又能はざりき。
舊羈※[#「革+勺」、第3水準1−93−76]《きうきてき》
アントニオ[#「アントニオ」に傍線]ならずやと呼ぶ聲あり。我に迫りて手を※[#「てへん+參」、97−下段−3]《と》れり。初はわれベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]の己れを認め得たるならんとおもひしが、その面を視るに及びて、そのフアビアニ[#「フアビアニ」に傍線]公子なるを知りぬ。公子はわが昔の恩人の壻《むこ》にして、フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]の君の夫なり。我を以て不義の人となし、我に訣絶《けつぜつ》の書を贈れる人の族《うから》なり。公子。こゝにて逢はんとは思ひ掛けざりき。夫人に語らば定めて喜ぶことならん。されどいかなれば夙《はや》く我們《われら》を訪《たづ》ねんとはせざりし。カステラマレ[#「カステラマレ」に二重傍線]に來てより既に八日になりぬ。われ。君達のこゝに在《いま》すべしとは、毫《すこ》しも思ひ掛けざりき。そが上わが伺候を許し給はんや否やだに知らねば。公子。現《げ》にさることありき。おん身は昔にかはる男となりて、婦人のために人と決鬪し、脱走したりとの事なりき。そは我とても好しとは思はず。をぢ君のことば短なる物語にて、その概略《あらまし》を知りし時は、我等もいたく驚きたり。おん身はをぢ君の書を獲たるならん。その書は優しき書にはあらざりしならんといふ。我はこれを聞きつゝも、むかしの羈※[#「革+勺」、第3水準1−93−76]《きづな》の再び我身に纏《まつは》るゝを覺えて、只だ恩人に見放されたる不幸なる身の上を侘《かこ》ちぬ。公子は我を慰めがほに、又詞を繼いで云ふやう。否々、おん身を見放さんはをぢ君の志にあらず。我車に上りて共に來よ。今宵は妻のために思掛《おもひがけ》なき客を伴ひ還らんとす。カステラマレ[#「カステラマレ」に二重傍線]は遠くもあらず。旅宿は狹けれど、猶おん身が憩はん程の房《へや》はあるべし。をぢ君の性急なるはおん身も兼ねて知れるならずや。この和睦《わぼく》をばわれ誓ひて成し遂ぐべしといふ。我は首を垂れてこの成《たひら》ぎの覺束《おぼつか》なかるべきを告げしに、公子は無造作に我詞を打消して、我を延《ひ》きて車の方に往きぬ。
車に乘りてより、公子は我に別後の事を語れと迫りぬ。わが賊寨《ぞくさい》に入りしことを語るに及びて、公子は面に笑を帶びて、そは即興詩にはあらずや、記憶より出でずして空想より出づるにはあらずやといひ、又恩人の絶交書の事を語るに及びて、苛酷なり、太《はなは》だ苛酷なり、されどそはおん身の改悛《かいしゆん》すべきを期してなり、おん身を愛してなり、おん身はよもや非を遂げて劇場に出でなどはせざりしならんといふ。われは直ちに、否、昨晩出でたりと答へき。公子。そは實に大膽なる事なりき。結果はいかなりしか。われ。望外なりき。喝采の聲止まずして、幕の外に出でゝ謝すること再びなりき。公子。御身にかゝる成功ありしか。そは責《せ》めてもの事なりき。此詞は我材能に疑を挾めるものなれば、われはそを聞きて快からずおもひぬ、されど恩惠の我口を塞げるを奈何せん。われは夫人に會はんことの心苦しさを訴へしに、公子は唯だ戲《たはむれ》に、そは説法なくては濟まぬならん、されど説法を聽聞《ちやうもん》せんもおん身に害あらじと答へぬ。
兎角いふ程に、車は旅店の門に到りぬ。一少年の髮に燒※[#「土へん+曼」、98−上段−29]《やきごて》當てゝ好き衣《きぬ》着たるが、門前に立てり。公子を迎へて云ふやう。フアビアニ[#「フアビアニ」に傍線]なるか。好くこそ歸り來たれ。細君は待ち兼ね給へり。かく云ひつゝ我を視て、扨《さて》は新顏の即興詩人を伴ひ歸りしか、チエンチイ[#「チエンチイ」に傍線]といふなるべし、違《たが》へりやと云ふ。公子はチエンチイ[#「チエンチイ」に傍線]とはと我面を顧みたり。われ。そは我が番附に書かせし名なり。公子。然《しか》なりしか。そは責めてもの思案なりき。少年。フアビアニ[#「フアビアニ」に傍線]、御身は此人のいかに戀愛を歌ひしを想ひ得るか。昨夜おん身が「サン、カルロ」座に往かざりしこそ遺憾なれ。めでたき才藝にこそとて、我と握手し、我と相見る喜びを述べ、又フアビアニ[#「フアビアニ」に傍線]に向ひて云ふ。今宵はおん身に晩餐の馳走を所望すべし。この好謳者《かうおうしや》をおん身等夫婦にて私せんとはせじ。公子。問はるゝまでもなく、おん身は何時にても我方《わがかた》に歡迎せらるゝならずや。少年。さるにてもおん身は、何故に猶我等二人のために紹介の勞を取らずして、互にその名を知ることを得ざらしむるぞ。公子。そはいらぬ禮儀なり。われは熟《よ》く渠《かれ》と相知れり。汝は我友なれば、渠は特《ことさ》らに紹介をば求めざるべし。渠は唯だおん身を知ることを得たるを喜ぶならんといふ。此挨拶は固《もと》より我心に慊《あきたら》ねど、われは又恩惠のために口を塞がれたり。少年は我方に向ひぬ。さらばわれ自ら我身を紹介すべし。おん身の何人たるは我既に知れり。我名はジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]なり。國王陛下の護衞たる一將校なり。(微笑《ほゝゑ》みつゝ)拿破里《ナポリ》の名族にて、世の人は第一に位すとぞいふ。そは僞にもあらざるべし。就中《なかんづく》わがをばは頗るこれに重きを置けり。おん身の如きを知るは、大いなる幸なり。おん身の才と云ひおん身の吭《のど》と云ひと、猶詞を繼がんとするを、フアビアニ[#「フアビアニ」に傍線]は押しとゞめて、止めよ/\、さる挨拶を受くることは猶不慣なるべし、紹介とやらんも最早濟みたるべければ、夫人の許に往かん、かしこには又和議といふ難關あり、おん身仲裁の煩を避けずば、今の辯舌を殘し置きて其時の用に立てよと云ひつゝ、彼士官と我とを延《ひ》きて、旅店の一間《ひとま》に進み入りぬ。われはこの生客《せいかく》の前にて、我身の上の大事を語らるゝを喜ばねど、二人は親しき友なるべければと自ら思ひのどめて、遲れ勝《がち》に跟《したが》ひ行きぬ。
やうやくにして歸り給ひしよと迎ふるは、久しく面を見ざりしフランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]の君なりき。公子。現《げ》にやうやくにして歸りぬ。されど二人の賓客を伴へり、夫人は一聲アントニオ[#「アントニオ」に傍線]と云ひしが、忽《たちまち》又調子を更《か》へてアントニオ[#「アントニオ」に傍線]君《ぎみ》と云ひつゝ、その嚴《おごそ》かに落つきたる目を擧げて、夫と我とを見くらべたり。われは身を僂《かゞ》めてその手に接吻せんとせしに、夫人は我を顧みず、手をジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]にさし伸べて、晩餐の友を得たる喜を述べ、夫に向ひて、ヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]の爆發はいかなりし、熔巖はいづ方へ流れんとするなど問ひぬ。公子は略《ほ》ぼ見しところを語りて、我等の邂逅の事に及び、今は客として伴ひたれば昔の事を責め給ふなと云へり。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]。然《さ》なり。此人いかなる罪を犯しゝか知らず。されど天才には何事をも許さるべきならずや。夫人は纔《わづか》に面を和《やはら》げて我に會釋しつゝジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍
前へ
次へ
全68ページ中42ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
アンデルセン ハンス・クリスチャン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング