限を我頭に擲《な》げ付け、續いて籠を擲げ付けしに、われ驚きて跳《をど》り下るれば、車ははや彼方へ進み、和睦《わぼく》のしるしなるべし、娘のうしろざまに投じたる花束一つ我掌に留りぬ。われは車を追はんとせしが、雜沓甚しきため其甲斐なく、遂にとある横街に身を避けつ。
身の周圍の混雜收りて心落つくと共に、心に懸かるはアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が同乘《あひのり》したる男の上なり。察するにベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が故意《わざ》と翁に扮したるなるべし。いで二人の家に歸るを待ち受けて確めばやと人通り少かるべき横街を駈け拔けて、姫が住めるコロンナ[#「コロンナ」に二重傍線]の廣こうぢに出で、戸口に立ちて待つほどに、車は果して歸り着きぬ。われは家の僮僕《しもべ》などの如き樣して走り寄りつゝ、車より下る二人を援けんとするに、姫は我手に縋らで先づおり立ちぬ。さて彼老神士に心を着くるに、その立ちあがりいざりおるゝ樣にて、わが推せし人ならぬは早く明かになりたりしが、寢衣の裾より出でたる褐色の裳《も》を見るに及びて、姫が家の媼《おうな》なることは漸く知られぬ。媼はわがさし伸ばす手に縋りて下りぬ。われは姫の供《とも》したる人の男ならざりし嬉しさに、幸あらん夜をこそ祈れと聲高く呼びて去らんとせしに、姫進み寄りて、惡しき人かな、早くフイレンチエ[#「フイレンチエ」に二重傍線]に遁《のが》れ行かばやといひつゝも、手さし出せるを握るに、かなたも親く握り返しつ。嬉しさに嬉しさの重なりたる我は、火持たぬ手うち振りて、火持たぬ人は死ねと叫び行きぬ。我心の中には姫が徳を頌する念滿ちたり。その車の傍なる座をば、樂長にも許さず、吾友にも許さで、彼媼を伴ひしこそ、姫が心の清き證《あかし》なれ。彼媼は又かゝる遊を喜ぶべき人とも見えぬに、男寢衣を身に着けて供せしを思へば、壹《もは》ら姫を悦ばせんがために心を竭《つく》せるものなるべし。唯だ姫が側なる人をベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]ならんと疑ひしとき、我心の噪《さわ》がしかりしは、妬《ねたみ》なるか否《あら》ざるか、そはわが考へ定めざるところなりき。
われは殘れる謝肉祭の時間を面白く過さんとて、假粧舞《フエスチノ》の場《には》に入りぬ。堂の内には處狹《ところせま》きまで燈燭を懸け列ねたり。假粧《けはひ》せる土地《ところ》の人、素顏のまゝなる外國人と打ち雜《まじ》りて、高き低き棧敷を占めたり。平土間より舞臺へ幅廣き梯《はしご》をわたしたるが、樂人の群の座はその梯の底となりたり。舞臺には畫紙を貼《は》り、環飾《わかざり》紐飾を掛けて、客の來り舞ふに任せたり。樂人は二組ありて、代る代る演奏す。今は酒の神なるバツコス[#「バツコス」に傍線]とその妻なる女神アリアドネ[#「アリアドネ」に傍線]との姿したる人を圍みて、貸車の御者《ヱツツリノ》に扮したる男あまた踊り狂ふ最中なりき。われは梯を踏みてその群に近づき、引かるゝまゝに共に舞ひしが、心樂しく身輕きに、曲二つまで附き合ひて、夜更けたる後|塒《ねぐら》に歸りぬ。
眠りしは短き間にて、翌朝は天氣好かりき。姫は今羅馬を立つにやあらむ。華かにして賑はしく、熱して騷がしかりし謝肉祭は、今我を殘して去りぬ。外に出でゝ風に吹かれなば、心寂しきけふを慰むるに足ることもやと思ひて、獨り街に立ち出でぬ。家々の戸は閉されたり。物賣る店もまだ起き出でざりき。昨日は人の波打ちしコルソオ[#「コルソオ」に二重傍線]の大道には、往き交ふ人|疎《まばら》にして、白衣に藍《あゐ》色の縁取りしを衣《き》たる懲役人の一群、霰《あられ》の如く散りぼひたる石膏の丸《たま》を掃き居たり。塵を積むべき車の轅《ながえ》には、骨立《ほねたゝ》したる老馬の繋がれつゝ、側なる一團の芻秣《まぐさ》を噛めるあり。とある家の戸口には、貸車の御者立ちて、あき箱あき籠あまた車の上に載せ、その上をば毛布もて覆ひ、背後に結び附けたる革行李の凹《くぼ》くなるまで鐵の鎖を引き締め居たり。この車は横街より出でたる、同じ樣に梱《こり》載せる車と共に去りぬ。ナポリ[#「ナポリ」に二重傍線]にや行くらん。フイレンチエ[#「フイレンチエ」に二重傍線]にや行くらん。耶蘇更生祭の來ん日まで、羅馬は五週間の長眠をなさんとするなり。
精進日、寺樂
事なくして靜に日を暮せば、その永さの常にもあらで覺えらるゝと共に、謝肉祭の間の珍らしかりし事、その事の中心をなせる姫が上のみ心頭に往來せり。墳墓の如き靜けさは日ごとに甚しくなりぬ。わが胸の空虚は書卷の能く填《うづ》むるところにあらざりき。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]はわが無二の友なり。然るに今はその音容に接することの厭《いと》はしくなれるぞ怪しき。嗚呼我等二人の間にはアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の立てるなり。縱《たと》ひ友を失はんも、彼君のためには惜からじと一たびは思ひぬ。されどつら/\思ひ返せば、友は我に先だちて姫と交を結びぬ。わが姫と相識ることを得しは、全く友の紹介の賜《たまもの》なり。われは友に對して、我が姫に運ぶ情の戀にあらず、藝術上の感歎なるを誓ひたり。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]はわが無二の友なり。われは今これを欺かんとす。悔恨の棘は我心を刺せり。されどわれは遂にアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]を忘るゝこと能はず。
アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]を懷ふはアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の我に與へたる歡喜を懷ふなり。されどその歡喜をなしゝは昔日の事にして、今これが記念を喚《よ》び起せば、一として悲痛に非ざるものなし。譬へば亡人《なきひと》の肖像の笑へるが如し。その笑はたま/\以て我を泣かしむるに足る。學校にありしころ人の世途の難を説くを聞きては、或課題のむづかしき、或師匠の意地わるきなどに思ひ比べて、我も亦早く其味を知れりといひしことあり。今やその非なるを悟りぬ。われ若し能く此戀に克《か》つにあらずば、此力以て世途の難を排するに足るとはいふべからず。試に此戀の前途を思へ。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は尋常の歌妓に非ずして、その妙藝は現に天下の仰ぎ望むところなりと雖《いへども》、われ往《ゆ》いてこれに從はゞ、その形迹世の蕩子《たうし》と擇《えら》ぶことなからん。我友はこれを何とか言はむ。加之《しかのみなら》ず若し心術の上より論ぜば、我守護神たる聖母もこれよりは復《また》我を憐み給はざるべし。況《いはん》や此戀は果して能く成就せんや否や。我は口惜しきことながら、實に未だアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の心を知らざりき。我は寺に往きて聖母の前に叩頭《ぬかづ》き、いかで我に己に克つ力を授け給はれと祈りて、さて頭を擧げしに、何ぞ料《はか》らむ聖母の面《おもて》は姫の面となりて我を悦ばせ又我を苦めむとは。我は縱《たと》ひ姫再び來んも、誓ひて復た逢はじとおもひ定めつ。
我は嘗て古《いにしへ》の信徒の自ら笞《むちう》ち自ら傷《きずつ》けしを聞きて、其情を解せざりしに、今や自らその爲す所に倣《なら》はんと欲するに至りぬ。燃ゆるが如き我血を冷さんとて、我は聖母の像の下に伏して、我唇をその冷《ひやゝか》なる石の足に觸れたり。憶ひ起せば、わがまだ穉《をさな》き時の心安かりしことよ。母の膝下《しつか》にて過す精進日《せじみび》は、常にも増して樂《たのし》き時節なりき。四邊《あたり》の光景は今猶|昨《きのふ》のごとくなり。街の角、四辻などには金紙銀紙の星もて飾りたる常磐木《ときはぎ》の草寮《こや》あり。處々に懸けし招牌《せうはい》には押韻《あふゐん》したる文もて精進食《せじみしよく》の名を列べ擧げたり。夕になれば緑葉の下に彩《いろど》りたる提燈《ひさげとう》を弔《つ》れり。雜食品賣る此頃の店は我穉き目に空想界を現ぜる如く見えにき。銀紙卷きたる腸詰肉を柱とし、ロヂイ[#「ロヂイ」に二重傍線]産の乾酪《かんらく》を穹窿としたる小寺院中にて酪《ブチルロ》もて塑《こ》ねたる羽ある童の舞ふさまは、我最初の詩料なりき。食品店の妻は我詩を聞きて、ダンテ[#「ダンテ」に傍線]の神曲なりと稱へき。當時われは不幸にして未だこの譽《ほまれ》ある歌人のいかに世を動かしゝかを知らず、又幸にして未だアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が如き才貌ある歌妓のいかに人を動かすかを知らざりしなり。嗚呼、われは奈何《いかに》してアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]を忘るゝことを得べきぞ。
われは羅馬《ロオマ》の七寺を巡りて、行者《ぎやうじや》と偕《とも》に歌ひぬ。吾情は眞にして且深かりき。然るをこれに出で逢ひたるベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は、刻薄なる語氣もて我に耳語していふやう。コルソオ[#「コルソオ」に二重傍線]の大道にて戲謔能く人の頤《おとがひ》を解きしは誰ぞ。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が家にて即興の詩を誦《そら》んじ座客を驚《おどろか》しゝは誰ぞ。今は目に懺悔の色を帶び頬に死灰の痕を印して、殊勝なる行者と伍をなせり。汝はいかなる役をも辭せざる名優なるよ。此の如きは我が遂にアントニオ[#「アントニオ」に傍線]に及ばざるところぞといひぬ。吾友の言ふところは實録なりき。されど當時我を傷《やぶ》ること此實録より甚しきはあらざりしなり。
精進《せじみ》の最後週は來ぬ。外國人は多く羅馬に歸り集《つど》ひぬ。ポヽロ[#「ポヽロ」に二重傍線]門よりもジヨワンニ[#「ジヨワンニ」に二重傍線]門よりも、馬車相驅逐して進み入りぬ。水曜日午後にはワチカアノ[#「ワチカアノ」に二重傍線]のシクスツス[#「シクスツス」に傍線]堂にて「ミゼレエレ」(ミゼレエレ、メイ、ドミネ、憐を我に垂れよ、主よの句に取りたるにて、第五十頌の名なり)の樂あり。われは樂を聽きて悶を遣らんがために往きぬ。聽衆は堂の内外に押し掛け居たり。前なる椅榻《こしかけ》には貴婦人肩を連ねたり。色絹、天鵝絨《びろうど》もて飾れる觀棚《さじき》の彫欄の背後《うしろ》には、外國の王者並び坐せり。法皇の護衞なる瑞西《スイス》隊は正裝して、その士官は※[#「(矛+攵)/金」、第3水準1−93−30]《かぶと》に唐頭《からのかしら》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《はさ》めり。この裝束は今若き貴婦人に會釋せるベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]には殊に好く似合ひたり。
われ裏面より埒《らち》に近き處に席を占めしに、こゝは歌者の席なる斗出《としゆつ》せる棚に遠からざりき。背後には許多《あまた》の英吉利《イギリス》人あり。この人々は謝肉祭《カルナワレ》の頃|假粧《けはひ》して街頭を彷徨《さまよ》ひたりしが、こゝにさへ假粧して集ひしこそ可笑しけれ。推するにその打扮《いでたち》は軍隊の號衣《ウニフオルメ》に擬したるものならん。されど十歳|許《ばかり》の童《わらべ》までこれを着けたるはいかにぞや。その華美ならんことを欲することの甚しきを證せんがために、こゝに一例を擧げんに、其人の上衣は淡碧《うすみどり》にして銀絲の縫ひあり、長靴には黄金を鏤《ちりば》め、扁圓なる帽には羽毛連珠を着けたり。英吉利人のかゝる習をなしゝは、美しき號衣《ウニフオルメ》の好《よ》き座席を得しむる利益を知りたるためなるべし。我傍よりは笑を抑ふる聲洩れたり。されどわがそを可笑しと見しは、唯だ一瞬間なりき。
老いたる僧官《カルヂナアレ》達は紫天鵝絨の袍の領《えり》に貂《エルメリノ》の白き毛革を附けたるを穿《き》て、埒の内に半圈状をなして列び坐せり。僧官達の裾を捧げ來し僧等は共足元に蹲《うづくま》りぬ。贄卓《にへづくゑ》の傍なる小《ちさ》き扉は開きぬ。そこより出でたるは、白帽を戴き濃赤色の袍を纏《まと》へる法皇なりき。法皇は交椅に坐したり。侍者等は香爐を搖り動したり。紅衣の若僧の松明《まつ》取りたるもの數人法皇と贄卓との前に跪《ひざまづ》けり。
讀誦《どく
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