燕怐sやせぎす》を尋ね給ふか、檀那は別に御用ありての事なるべければ、案内《あない》しまゐらせん、されどこれも歸らんは一時間の後なるべし、そが上に人に問はるゝことなき女なれば、出でゝ御目に掛かるべきか、覺束《おぼつか》なしとつぶやきぬ。好し、さらば一時間の後の事にすべければ、こゝにて我が來んを待てと契《ちぎ》り置きて、我は岸邊に往き、舟を雇ひて、何處をあてともなく漕ぎ行かせつ。
 我心緒はいよゝ亂れに亂れぬ。只だ心中に往來《ゆきき》する切《せち》なる願は、今一たびアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]と相見て、今一たびこれに詞をかはさんといふことのみ。嗚呼、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]はまことに不幸なりき。されど我はその不幸を救ひ得べき地位にあらざりしを奈何せん。指す方もなき水上の逍遙ながら、痛苦に逐《お》はるゝ我心は、猶船脚の太《はなは》だ遲きを覺えぬ。
 一時間の後、舟を初の岸に繋《つな》げば、老僕は早く劇場の前に立ちて待てり。引かるゝまゝに、いぶせき巷《こうぢ》を縫ひ行きて、遂にとある敗屋《あばらや》の前に出でしとき、僕は星根裏の小き窓に燈《ともしび》の影の微かなるを
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