ナ舌の翁を獲つ。我が本讀の前兆は太《はなは》だ佳ならざるが如くなりき。
 我胸の跳ることは、嘗て「サン、カルロ」座の舞臺に立ちし時より甚しかりき。若し我が期するところの效果にして十分ならば、人々はこれを聽きて、その常に我を遇する手段の正しからざるを悟り、未來に於いて自ら改むるに至るならん。是れ一種の精神上の治療法なり。われは明かに我が期するところの難《かた》きを知る。さるを猶これを敢てするものは、深く自ら「ダヰツト」の一篇の傑作なることを信じたればなり、又小尼公の優しき目の暗に我を鼓舞するに似たるあるに感じたればなり。
 我詩は一として自家の閲歴に本づかざる者なし。此篇も亦|然《しか》なり。首段は牧童たるダヰツト[#「ダヰツト」に傍線]の事を敍す。即ち我が穉《をさな》かりし頃、ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]にはぐゝまれてカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の茅屋《ばうをく》に住めりし時の境界《きやうがい》に外ならず。フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]の君聞もあへず、そは汝が上にあらずや、汝がカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野にありし時の事に非ずやと叫び給へば、
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