想ふだに、畏怖の念の此の如きあり。その罪を遂げたらん後は、果して奈何なるべき。

   もゆる河

 舟に召さずや、檀那《だんな》、トルレ、デル、アヌンチヤタ[#「トルレ、デル、アヌンチヤタ」に二重傍線]へ渡しまゐらせんと呼ぶ聲は、身のほとりより起りて、そのアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]といふ語は、猶能く思に沈みし我を喚《よ》び起せり。頭を擡《もた》げて見れば、岸近く櫂《かい》を止《やす》めたる舟人あり。熔巖の流るゝこと一分時に三|臂長《ひちやう》なりといへり、(伊太利の尺の名)往きて看給はんとならば、半時間には渡しまゐらせんといふ。舟は我熱を冷《さま》すに宜しからんとおもへば乘りぬ。舟人は棹《さを》取りて岸邊を離れ、帆を揚げて風に任せたるに、さゝやかなる端艇《はぶね》の快《こゝろよ》く、紅の波を凌《しの》ぎ行く。汐風《しほかぜ》兩《りやう》の頬《ほ》を吹きて、呼吸漸く鎭《しづ》まり、彼方の岸に登りしときは、心も頗るおちゐたり。
 我は心に誓ひけるやう。我は再び博士の閾《しきゐ》を踰《こ》えじ。禁ぜられたる果《このみ》を指《ゆび》ざし示す美しき蛇に近づきて、何にかはすべき。
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