ヘ岸|拍《う》つ波に似たり。その落ちて地上に留まるや、猶暫くその火紅を存じて、銀河の側に輝く星を看る如し。既にして空氣は漸くその隅角と周縁とを冷却して黒變せしめ、そのさま黒き絲もて編める網に黄金を裹《つゝ》める如し。
熔巖の流れ行く先なる葡萄の幹に聖母《マドンナ》の像を懸《か》けたるものあり。こはその功徳《くどく》もて熔巖の炎を避けんとのこゝろしらひなるべし。されど熔巖はその方嚮《はうかう》を改めず。像を懸けたる一本《ひともと》の葡萄は、早く熱のために葉を焦《こが》し、その幹は傾きて、首を垂れ憐を乞ふ如くなり。衆人《もろひと》の中なる淳樸《じゆんぼく》なる民等が眼は、その發落《なりゆき》いかならんとこの尊き神像に注げり。幹は愈※[#二の字点、1−2−22]曲り低《た》れて、今や聖母《マドンナ》のおほん裳裾《もすそ》と火の流との間數尺となりぬ。忽ち我が立てる側なるフランチスクス[#「フランチスクス」に傍線]派の一僧ありて、もろ手高くさし上げて叫べり。聖母は火に燒かれ給はんとす。汝等を永劫不滅の火焔の中より救ひ給ふ聖母なるぞ。早や助け出さずやといふ。衆人は皆震慄して一歩退き、畏怖の眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》りて、次第に撓《たわ》む梢頭の尊像を仰げり。一人の女房あり。口に聖母の御名《みな》を唱へつゝ、走りて火に赴きて死せんとす。爾時《そのとき》僅に數尺を剩《あま》したる烈火の壁面と女房との間に、馬を躍らして騎《の》り入りたる一士官あり。手に白刃を拔き持ちてかの女房を逐ひ郤《しりぞ》け、大音に呼びけるやう。物にや狂ふ、女子《をなご》、聖母《マドンナ》爭《いか》でか汝が援《たすけ》を求めん。聖母は彼|拙《つたな》く彩《いろど》りたる、罪障深きものゝ手に穢《けが》されたる影像の、灰燼となりて滅せんことをこそ願ふなれといふ。その聲はベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が聲なり。その行《おこなひ》は※[#「倏」の「犬」に代えて「火」、第4水準2−1−57]忽《しゆくこつ》の間に一人の命を助けて、その言は俗僧の妄誕《ばうたん》をいましめ得たるなり。われはこの昔の友を敬する念を禁ずること能はずして、運命の我等二人を遠離《とほざ》けしを憾《うらみ》とせり。されど我胸は高く跳りて、今|渠《かれ》に對《むか》ひて名告《なの》り合ふことを欲せず、又能はざりき。
前へ
次へ
全337ページ中207ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
アンデルセン ハンス・クリスチャン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング