た。もしこの景色をそのまま画にかいてみせることができたら、たれだって「ああ、すばらしいイタリア。」とさけばずにはいられないでしょう。けれどもさしあたり神学生も、おなじウェッツラ(四輪馬車)にのりあわせた旅の道づれも、それをくちびるにのせたものはありませんでした。
毒のあるはえ[#「はえ」に傍点]やあぶ[#「あぶ」に傍点]が、なん千となく、むれて馬車のなかへとびこんで来ました。みんな気ちがいのように、ミルテの枝をふりまわしましたが、はえ[#「はえ」に傍点]はへいきで刺しました。馬車の客は、ひとりだってさされて顔のはれあがらないものはありませんでした。かわいそうな馬は腐れ肉でもあるかのようにはえ[#「はえ」に傍点]のたかるままになっていました。たまにぎょ[#「ぎょ」に傍点]者がおりて、いっぱいたかっている虫をはらいのけると、そのときだけいくらかほっとしました。いま、日は沈みかけました。みじかい、あいだですが、氷のような冷やかさが万物にしみとおって、それはどうにもこころよいものではありません。でも、まわりの山や雲が、むかしの画にあるような、それはうつくしいみどり色の調子をたたえて、いかにもあかるくすみとおって――まあなんでも、じぶんでいってみることで、書いたものをよむだけではわかりません。まったくたとえようのないけしきです。この旅行者たちたれもやはりそうおもいました。でも――胃《い》の腑《ふ》はからになっていましたし、からだも疲れきっていました。ただもう今夜のとまり、それだけがたれしもの心のねがいでした。さてどうそれがなるのか。うつくしい自然よりも、そのほうへたれの心もむかっていました。
道は、かんらんの林のなかを通っていきました。学生は、故郷にいて、節だらけのやなぎの木のあいだをぬけて行くときのような気もちでした。やがてそこにさびしい宿屋をみつけました。足なえのこじきがひとかたまり、そこの入口に陣取っていました。なかでいちばんす早いやつでも、ききんの惣領《そうりょう》息子が丁年になったような顔をしています。そのほかは、めくらかいざり[#「いざり」に傍点]かどちらかでしたから、両手ではいまわるか、指の腐れおちた手をあわせていました。これはまったくみじめ[#「みじめ」に傍点]がぼろにくるまって出て来た有様でした。*「エチェレンツア・ミゼラビリ」と、こじきはため息まじりに
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