度も彼はひつぱられた。それでも彼は「敵打ち」のつもりで、皆の先頭に立つてひるまなかつた。要求の大半は通り、解決した。
仙吉は工場分会長になつた。彼は子供のやうに得意になつた。それから比較的落ちついた生活が続く。ガラス問屋と下駄屋との間の露路に平家を一軒借りた。そして、ウメ子も燐寸工場に働くまでに成長した。スパイはつねに出入りしだした。しかし、今は仙吉に少しばかりの畏敬の念を持つてゐるやうに見られた。彼らは小娘のウメ子にふざけたり、彼と冗談《じようだん》を云つたりした。
6
日本の労働運動は次第に自然発生的なものから意識的なものへと移つて行つた。今までの運動は建て直された。指導者は色々とムツカシイ問題について考へねばならないのだ。一回のストライキ以来、平穏に存続して来たMハブラシ工場の組合分会の中にも、仙吉に云はせると、小ムツカシイ理窟を云ふ若いやつが出て来た。仙吉には「かなはん」ことであつた。だが「あのストライキの時の俺を忘れて貰つては困る」と彼は云つた。若い連中はこの先輩にも別に遠慮しなかつた。俺は引退しよう。そして彼は平の組合員になつた。何だか、彼には精確な理論によつて動いたり、規律を守つて行くのが窮屈に思はれたのだ。もつと、お祭り騒ぎのやうに反抗したかつたのだ。
7
汚い溝川が流れてゐる。小さい木橋がその間に架《かか》つてゐた。東側に古い警察署があつた。川を越えて、丁度その向ひ側に、代書屋が四五軒並んでゐた。そのうちに、しもた屋の店さきを借りて、仙吉は坐つてゐる。彼もいつの間にか代書人になつてゐるのだ。へんに心易くなつたスパイにでも便宜を計つて貰つたにちがひない。筆蹟のいい彼は、客を待つて、届書や証書類の代書をやつてゐた。夕方までそこにゐて、それから、ガラス屑屋と下駄屋との間の家へ帰つて行つた。時々、家の中は電燈もついてゐなく、夕飯もできてゐなかつた。燐寸工場に出てゐるウメ子は娘らしくなく、退け時が来ても帰つて来ぬことがあつたのだ。今でも定期的にたづねて来る藤本といふスパイは、代書店にゐる仙吉のところへ来て、四方山話《よもやまばなし》をした後、
「おウメちやんにも気をつけた方がええぜ。虫がつくかも分らへんからな」と云つた。
虫? ウメ子のところへはよく会社の若い男が遊びに来た。仙吉は彼を相手に「主義者」としてのかつての自分を
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