もあるものか。袴やええ[#「ええ」に傍点]着物がいるのやつたら買うて寄こせ云うたる」そしてさう云つた。結果は失業であつた。ウメ子は学校から極端にいぢめられた。
 二年生になる頃から、同居してゐるお神さんに教へられて、風船を作ることになつた。赤、紫、黄、青、白、五色の花弁のやうな紙片《かみきれ》をチヤブ台の上にのせた。毎日糊をこしらへてそれを作つた。そして夜になると、お神さんのこしらへたのと一緒に紺の風呂敷に包んで坂を越えて遠い道を歩き、問屋町の風船屋へ持つて行つた。しかし、八つや九つの女の子は風船を作るより、それで遊んでゐるのが普通である。
 それからセルロイド櫛《くし》の飾り附けもやつた。これはアラビヤ糊と云ふ西洋の糊を使つた。小さい金具の飾りを「ピンセット」で挾《はさ》むのだ。この方がダメになると袋の紐附けをやつた。仙吉が失職すると、彼もこのあまり金にならない仕事をしてゐる少女の手伝ひをした。

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 少し手間どつて来た。簡単に書かう。こんな状態のラレツは読者には余り興味あるものではないから。とにかく以上のやうな父親とその生活の感化のもとに彼女は次第に反逆の呂律《ろれつ》をおぼえたのだ。このロレツがしつかりとした言葉になつたのは、彼女が燐寸《マッチ》工場の女工になつてからであつたが。

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 歯ブラシにする牛の骨を柔かくするために、漬けた桶が幾つも並んでゐる。牛骨は黄色くて、臭い。仙吉はそこで働きだした。荒削部だ。白いザラザラの粉《こ》を頭から肩にかぶつた。新聞に労働争議の記事が多くのつた年だつた。職人(仙吉は労働者のことをかう云つた)たちは毎日熱心にこの記事を読んだ。ひる休みにもそのことばかりが話の種になつた。「日給を二十銭あげい云うて、E鋳物工場がストライキやつとる。うちもどうしても二十銭や三十銭はあげて貰はんならんやないか」有志のものは寄りあつて、同じ境遇である他の工場の労働者のストライキがどうして起るのかを研究しはじめた結果、この工場でもストライキにはひることになつた。「表門だけでなく、裏門をこしらへろ。多くの労働者はムダな廻り道をしなければならぬから」と云ふ要求まで出された。最初は怠業から始めた。そして、労働組合友愛会の支部に応援を求めた。「主義者」の仙吉には初めての経験のストライキであつた。彼は勇敢に戦つた。争議は永かつた。幾
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