団は楽屋を占領して、そこにこもつた。館では楽屋と舞台との通路をふさいで、閉場後は観客席に暴力団を入れて対峙《たいぢ》させた。
一方、七人の交渉委員は会社重役と会見する。三人の委員がそこで――「我々は」と口を開いた瞬間に検束される。と、他の四人は重役と待合に出かけて行く。重役は早く解決してくれれば、争議費用として諸君にもお礼しようと云ふ。そして、アメリカでは、トーキーも行きづまつて来たから、今度の争議も意味のないことになるだらう、解雇手当を二年分も要求してるが六ヶ月もすれば、もとのやうにサイレント映画になつて、説明者、音楽師も復業できると思ふ、と云ふ。白足袋の指導者は尤《もつと》もと考へて、この意見を大衆化しなければと決心する。
そして、次の夜の従業員大会で、彼は重役の意見をそのままにのべるのであつた。
すると、誰かが、莫迦《ばか》云ふな、トーキーは必然なんだ、しかし、我々の闘つてゐるのは、今まで我々を搾取《さくしゆ》して今になつて我々をわづかの涙金で追つぱらはうとする資本家なんだ、と叫んだ。
彼はすつかり憂欝になつた。しかし、持ち前の愛想よい態度で、その野次も受取つて、
「さうだ、とにかくこの戦ひは、我々の死活を司《つかさど》るものである。最後まで頑張らう!」と云つて降壇したのである。
彼らはできるだけ要求を縮めなければ、この不況時代には会社もきき入れることはできまいと、主張するのであつたが、ちやうどその時、江東の常設館が四つも一度に同情ストライキに入つたと報じて来た。そこで従業員の元気は盛り返して、どんなことがあつても今の要求のまま闘へ、と云ふ声が支配的になつてきた。
白足袋の指導者のところへ使が来る。彼が争議団本部を抜け出して行つて見ると、それは会社の支配人だつた。
この調子だと、浅草中のゼネストになるかも知れない、その前にゼヒ解決するやうに骨折つて貰ひたいと云ふ話なのである。
指導者はニコニコ愛想よくしながら、そのためには、楽屋を占領してゐることを家屋侵入として主謀者をひつぱり、他を追ひ出す必要がある。それは警察の力を借りてもいいし、暴力団の撲り込みの噂を流布して、表方、女給の連中に恐怖心を起させ、主だつた連中は保護検束して貰つて、それから突然、襲撃するのがよろしからう、と説明するのである。――
支配人は腕を組んで考へてゐたが、ふん、と云つた。「ぢや、何分よろしく尽力をお願ひする。今日はこれで失敬しよう、君も忙しいだらうから」と、何かまだ云ひたさうにしてゐる白足袋の指導者を残して、ひつこんで了つた。
指導者は支配人の顔色の随分悪かつたことを考へる。やはり、このやうに争議が大きくなつて来ると眠れないのだらう、と思ふ。そして、自分たちの力が足りないからこんな始末になるので、支配人は機嫌を害してゐたのではないかと心配になつて来るのである。もし、さうならば、事務員の職をくれると云ふ約束も危くなつてくるわけである。
――そこへ持つて来て、また二つの常設館が動揺しはじめたと報知がある。指導者はうろたへるのである。
暴力団との衝突の噂がひろがつて、警察で保護検束と、籠城解散を命じた。そのドサクサに、ダラ幹だけが残つてゐる交渉委員は解決へと急いで了つた。
云ふまでもなく争議は惨敗に終つてゐる。解雇手当は出さず、争議費用として金一封、勤続手当を一ヶ年について二ヶ月、以上一ヶ年毎に一ヶ月、と云ふ有様であつた。
ダラ幹たちは悲壮な演説をした。
白足袋の指導者は、深く意を決するところがあると云つて、平常の態度に似ず、蒼白の顔をして腰を下してゐる。
――その夜、指導者は日頃飲み友だちの新聞記者と会つた。そして、彼は冗談のやうに云ふのである。
「俺が自殺したら、何段抜きで取扱ふかね」
それから、彼は実は自分は、争議惨敗の責任を団員に感じて、睡眠薬を飲まうと思つてゐると語つた。
新聞記者は相手の眼をぢつと見てゐたが、その眼の光がニヤリと動いたやうに思はれた。そこで彼も亦ニヤリとして、
「いつやるんだ」
「あす昼、解団式の直後にでも決行する」
「そりや、まづい」と新聞記者は云つた。
「それぢや、俺んとこの特種にならん。夜の二時すぎは如何だ。みんな朝刊の締切がすぎてからの方が都合がいいね。君のアパートでやるんだね、――と、かう云ふ記事でいいだらう、トーキー争議の指導者責任感から自殺を計る、か。つまり何だな、某氏は今暁、ベロナールを飲下して自殺をはかつたが、幸少量であつたため苦悶中発見され、手当を受けた、と。生命は取とめられる見込である。原因については、争議団にあてた遺書が発見され、それに依れば、今日のトーキー争議が惨敗に終つて、従業員を路頭に迷はすに到つた責任を、指導者として痛感した結果であると見られてゐる。尚最近、不眠不休の活動のため、少しく神経衰弱の気味もあつた、と親近者は語つてゐる、か。このあとは附加へない方がいいかな。――この原稿を君がベロナールを飲む前に送つて置くぜ、ありがたう、これで、特種料で一ぱいのめるわけだ」
白足袋の指導者は、それから二通の遺書を書いた。一つは、新聞記者がすでに記事としたやうに争議団にあてたもの、他は郵送した、それは、会社の支配人始め重役にあてたものである。後者に於ても、責任を痛感した結果、死を以て御詫するとなつてゐるのだが、それは争議を永びかし、又、あちらこちらに飛火させたことについての責任である。
これで、二つの側に、彼の愛嬌ある顔は立つことになる。そこで、今度はベロナールの致死量をよく調べて、たとひ手当がおくれても、大丈夫、死なぬやうに計つて置かねばならない、と彼は考へた。
それから、彼はあの飲み友だちの新聞記者にだけ特種としてやるのは惜しくなつて来たのである。すべての新聞に大きく載りたいのだ。そこで、まさか死ぬとは云へないが、争議団の最後の記事をとりに来た記者たちに、自分は重大な決意をした、と云つたりした。そして夕刊の記事になるやうに、やはり昼頃がよかろうと考へた。
彼の前の五号室には、安来節《やすきぶし》の女が弟子二人と住んでゐたが、家賃の払ひが悪いので、赤い眼玉の主人は出て行つてくれるやうに云つた。弟子の二人は仲が悪くて、しよつちゆう口喧嘩をしてゐるのであるが、その日も引越だと云ふのに、お前さんは舞台でツンとしてるから人気がないんですよ、とか、へつ、お前さんのやうに、淫売みたいにニヤニヤできるもんか、私は安来節だけで御客さんの御機嫌を取つてるんだからね、なぞと云ひ争ひながら、道具類を階下《した》へ運んでゐた。――
そのあとには、越後からやつて来た毒消し売りの少女たちが入ることになり、わざわざ送つて来た炊事道具やら商売道具を運び入れてゐた。彼女たちは全部で十人なので、白足袋の指導者の隣り部屋、九号室にも分宿することになつてゐる。
この日焼した少女たちは――彼女たちが、ここの風呂に入つたあとは、湯が陽なた臭く、塩つぽくなるのである――大体、去年と同じ顔触れだが三人ばかり馴染みなのがゐない。それらは、すでに嫁入りをしたのであらう。その代り、小学校を出たばかりの少女が新しく加つてゐる。
彼女たちは、暖かすぎるほどの日なので、襦袢と腰巻だけになり、その上にメリンスの帯を結んで、この二三ヶ月住む場所に道具の整理をしてゐた。その時、誰かが苦しさうに唸つてゐるのが聞えてきたが、彼女たちの陽気な人もなげな饒舌と物音のために掻き消されたやうである。
夕方、主人は広告軽気球を下すために物干台に昇つて来る。物干台は雨風に腐つて黒くなり、彼の歩くたびにギシギシと音を立てる。彼は一度、東の方に風で吹寄せられてゐる軽気球の方へ眼をやつてから、昨日まで争議のあつた映画常設館を眺める。そして下の荒れた墓地へ唾を吐いた。――物干台の下は指導者の部屋にあたつてゐるが、彼は昼前から眠つたまま、まださめない。夕刊の締切は云ふまでもなく、とつくにすぎ、もう配達もされてゐる。しかし、別に珍しい記事もなかつたやうである。――結局、白足袋の愛嬌ある指導者は、もう誰にも起されずに、いつまでも眠りつづけるのだらう。
[#地から1字上げ](昭和七年六月)
底本:「現代文学大系 44 武田麟太郎・島木健作・織田作之助集」筑摩書房
1967(昭和42)年
入力:山根鋭二
校正:伊藤時也
1999年12月15日公開
2005年12月31日修正
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