やうにさへ見える。野菜の切れはしや、魚の骨や塵芥はそこいらにちらばつてゐるし、風呂なんかは二三人はひると、白い垢や石鹸の糟《かす》が皮膚にくつつく程浮いて小便臭くなつて了ふ。他の部屋に要事があつて入る時も、ノックなしにドアを突然あけるし、鍵のこはれてゐる便所なぞも平気で扉を押し開いて、先に入つてうづくまつてゐるものを狼狽《らうばい》させたりする。
 そのうちでも、最もうるさいのは、暇のある女たちだらう。その中心には、吉原遊廓の牛太郎の女房が二人ゐて、彼女たちは昼は亭主がゐるので部屋に閉ぢこもつてゐるが、夜はお互ひの部屋を菓子鉢を提げて行き来し、女たちを集めて晩《おそ》くまで噂ばなしに時をすごすのである。部屋の前には女のスリッパや草履が重なりあつて、彼女たちの高い笑ひ声はどこの部屋にあつても聞くことができる。
 最近の彼女たちの話題は、六十すぎの爺さんと婆さんとの恋愛はどんな風に行はれ得るかと云ふことであるらしい。――その婆さんはずつと以前から、三階の一号室に住んでゐるが、そこへ近頃同年配の老人が亭主として入つて来たのである。彼はよほど遠慮深い性質で、婆さんのところへ婿入り[#「婿入り」
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