から乾からびてしよつちゆう割れる音のしてゐる柱も、人間の色んな液汁が染みこんでゐて汚く悪臭を発散してゐる。表通に自動車が警笛をならして走るたびに部屋の振動するのは云ふまでもなく、べとべとしてゐて足裏に埃のいやにくつつく廊下や階段を誰かが歩いただけで、部屋全体が響けるのである。
 油虫の多い炊事場は、二階階段の上《あが》り端《はな》に、便所と隣りあつてあるが、流しもとは狭くて水道栓は一つ、ガス焜炉は二つしかないので、支度時には混雑して、立つて空くのを待つてゐなければならない。
 こんな不潔で不便でも、貸賃が安く、交通に都合がよいので、大抵の部屋はふさがつてゐるやうだ。六畳が十円で、ガス、水道、電燈料が一円五十銭――合計十一円五十銭の前家賃になつてゐる。多くは浅草公園に職を持つてゐるのであるが、彼らの借室人としての性質はどんなものであるか。
 彼らはその家賃が部屋の設備からして高いと考へてゐる。できれば値下すべきであり、殊に最近の不景気で以前と同じ金を取るのはひどいと考へる。そして、そのことは一人一人で交渉するよりも、全体としてアパートの主人に談合すべきであると考へる。――ある夜、多くの者たちは十二時すぎまで仕事があるので、一時頃から三時前までもかかつて、協議して一円の値下を要求することに決めた。そして翌日は晦日《みそか》になつてゐるのだが、誰も払はずに、交渉を引受けた小肥りの映画説明者の返答を待つことになつた。ところが、翌朝早く、主人は部屋々々を起して廻つて部屋代を取立てた。誰か昨夜のことを彼に告げたものがあつたのだらうが、皆も申合せを忘れたやうに、主人の剣幕に恐れをなして払ふのであつた。そのくせ、お互ひにはそんなことをしたとは顔色にも出さず、知らぬ顔でゐた。――朝寝坊の説明者は次から次へとひつきりなしに電話に呼出されるので出て見ると、決定を裏切つたものたちが、実は昨夜あの仲間にはひると云つたが、あの時はすでに家賃は払つてあつたんで、と云つた風な見え透いた言訳を出先きからするのであつた。そこで説明者も独りでは力もないし、主人に憎まれても仕方がないと、彼も亦《また》、定額を支払つたのである。
 ――そんな彼らであるので、共同生活の訓練は少しもない。掃除番が順次に廻つてくるのであるが、炊事場でも、それから夏を除いては隔日に立てられる風呂でも、出来るだけ汚くしようとしてゐる
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