。「ぢや、何分よろしく尽力をお願ひする。今日はこれで失敬しよう、君も忙しいだらうから」と、何かまだ云ひたさうにしてゐる白足袋の指導者を残して、ひつこんで了つた。
指導者は支配人の顔色の随分悪かつたことを考へる。やはり、このやうに争議が大きくなつて来ると眠れないのだらう、と思ふ。そして、自分たちの力が足りないからこんな始末になるので、支配人は機嫌を害してゐたのではないかと心配になつて来るのである。もし、さうならば、事務員の職をくれると云ふ約束も危くなつてくるわけである。
――そこへ持つて来て、また二つの常設館が動揺しはじめたと報知がある。指導者はうろたへるのである。
暴力団との衝突の噂がひろがつて、警察で保護検束と、籠城解散を命じた。そのドサクサに、ダラ幹だけが残つてゐる交渉委員は解決へと急いで了つた。
云ふまでもなく争議は惨敗に終つてゐる。解雇手当は出さず、争議費用として金一封、勤続手当を一ヶ年について二ヶ月、以上一ヶ年毎に一ヶ月、と云ふ有様であつた。
ダラ幹たちは悲壮な演説をした。
白足袋の指導者は、深く意を決するところがあると云つて、平常の態度に似ず、蒼白の顔をして腰を下してゐる。
――その夜、指導者は日頃飲み友だちの新聞記者と会つた。そして、彼は冗談のやうに云ふのである。
「俺が自殺したら、何段抜きで取扱ふかね」
それから、彼は実は自分は、争議惨敗の責任を団員に感じて、睡眠薬を飲まうと思つてゐると語つた。
新聞記者は相手の眼をぢつと見てゐたが、その眼の光がニヤリと動いたやうに思はれた。そこで彼も亦ニヤリとして、
「いつやるんだ」
「あす昼、解団式の直後にでも決行する」
「そりや、まづい」と新聞記者は云つた。
「それぢや、俺んとこの特種にならん。夜の二時すぎは如何だ。みんな朝刊の締切がすぎてからの方が都合がいいね。君のアパートでやるんだね、――と、かう云ふ記事でいいだらう、トーキー争議の指導者責任感から自殺を計る、か。つまり何だな、某氏は今暁、ベロナールを飲下して自殺をはかつたが、幸少量であつたため苦悶中発見され、手当を受けた、と。生命は取とめられる見込である。原因については、争議団にあてた遺書が発見され、それに依れば、今日のトーキー争議が惨敗に終つて、従業員を路頭に迷はすに到つた責任を、指導者として痛感した結果であると見られてゐる。尚最近、不
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