てゐるので、表の方へ廻つて彼の店を見るならば、彼が日に二合づつの牛乳を呑むに拘らず、乾操した皮膚をして、兎のやうに赤い眼の玉をキヨロキヨロさせ、身体中から垢の臭を発散させてゐる理由も、何だか了解できるやうな気がするだらう。それ程、彼の店は陰気で埃つぽく不衛生である。動いたことのない古物が――鍋釜《なべかま》、麦稈《むぎわら》帽子、靴、琴、鏡、ボンボン時計、火鉢、玩具、ソロバン、弓、油絵、雑誌その他が古ぼけて、黄色く脂じみて、黴《かび》に腐つてゐる。唯、これらの雑然とした道具と道具との狭い間を生き生きと動いてゐるのは、主人の子供たちだけである。――細君はやはり赤茶けた栄養の悪い髪の毛を束ね、雀斑《そばかす》だらけの疲労した表情をしてゐるが、恐しく多産で年子に困つてゐる。かつて、あるテキヤに口説《くど》かれたことがあつたが、そして、もう少しのところで誘惑されて了ふところであつたが、彼女は思ひとどまつて次のやうに言訳をした程である。――自分は関係するとテキメンに子供を産む性質だから、後になつてこのことが露顕するかもしれない、その時には足腰の立たぬ位ぶん撲《なぐ》られて追ひ出され、食べ物にも困り、しかし、あなたは浮気な色事師だから世話なんぞ見てはくれまい、そんな結果を思ふとどうしてもできない、と断つたのであつた。
――主人は他に周旋業、日歩貸《ひぶがし》等もやつてゐる。この後者のために、新聞の朝刊三行案内欄に「手軽金融 あづま商会」の広告を出してゐるが、これは貸出の回収不能なんかで手間取るよりもと、簡単に「調査料」詐取の方法を採つてゐる。即ち申込者から、普通一円、市外二円の割で、信用|担保《たんぽ》等の調査料を取立てるのであつて、その調査[#「調査」に傍点]の結果は、御融通できないと云ふことになるのである。それは貸さない口実を見つけ出すための調査料のやうな観を呈してゐる。――たとへば、担保の有無、保証人の信用工合、細君が入籍してあるか、子供があるかなぞの中にその口実は幾らでもころがつてゐたし、条件が揃つてゐても、現住所にどれ程ゐますかとの問ひに、哀れな申込者が六ヶ月と答へれば、商会では一年以上同一場所に居住してゐる人でないと貸出さないと云ひ、よしんば一年以上であつても、いや二ヶ年以下の御家庭は困るのですと――何とでも理由はつけて、調査料を捲きあげ得られるのである。
以上
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