やかやと一度にしやべりまくることだらうし、年の暮れで気忙しくしてゐる人をいつまでも掴へてはなさないにちがひないが、……とにかく、私はあまり知人たちを見かけない千住《せんじゆ》や三河島、あるひは尾久《をぐ》から板橋にかけて、都会の汚れた裾廻しを別に要事もなく仔細ありげに歩き廻つてゐた。かうして、短い冬の日が暮れると、こんどは自分の家へ帰るやうな顔つきをして、夕闇の中に浮浪者のうようよとしてゐる浅草田中町へ戻つて来るのであつた。安い飯屋や泡盛焼酎なぞを飲ませる店が満員でやかましく、豚や馬の臓物を煮込んだり焼いたりする臭ひが人間たちの体臭と入りまじつて、町の辻には土色をしたのや煉瓦色をした女たちが、用心棒をうしろに隠して立つてゐる。
 私も、使ひ果してほんの小銭ばかりになつたうちから、飯を食つたり酒にしたりするのだ。
 宿では、三畳ばかりのところに二人乃至三人づつ、相部屋《あひべや》するので、私は随分と色んな種類の、見知らぬ男たちと枕をならべて臥《ね》たものだ。渡りの土工、家出して来たり、蠣殻町《かきがらちやう》あたりで持金をすつて了つた田舎もの、てきや、流しの遊芸人、あるひは明かに泥棒らしいのとも一しよになつた。朝眼がさめると、昨夜は独りで床についたのに、いつの間にか、両端を人相の兇悪な大の男に挟まれてゐることもあつた。行きずりの一夜の宿を求める男たちと、殆ど夜具もすれすれに身体を近づけあつて眠り、お互ひの身の上については何も知らずに、そのまま別れて二度と逢へない場合もあれば、長逗留してすつかり顔馴染になり、半分以上は嘘と法螺《ほら》で作りあげられた昔ばなしを聞かされる例も多い。と云ふのは、かうしたどん底に生きてゐる彼らは、きまつて、はじめからこんなところに住むやうに生れたのではないと云ひたがつてゐるからだ。良い家に成長して、かつては栄燿《ええう》贅沢をしたと云ふ記憶を、まるできのふのことみたいに鮮かに描くことが出来るのであつた。少しは、本当のもあれば、他人の話から盗んで潤色したのもある。どちらにしても、彼らは零落してこのさまに到つたのだと云ふことで、今日の惨めさを忘れたり、蔽ひ隠さうとするあまい虚栄心を多分に持ち合せてゐる。真偽に拘らず、それを聞かされてゐて、こちらから進んで合槌を打つたり、出鱈目《でたらめ》な点にも感心してみせてやりたいのと、どうにも憎々しくて、折角まちがひないところを語つてゐるのに、意地悪くはぐらかして了ひたい男もある。物語も語り手が根本で、そのやうに色々と印象を変へるらしかつた。……
 その年の暮れにも、私は二人の男と相部屋になつて、種々雑多な話を幾度も聞かされた。まだ私位の年配の男は彼の云方によれば「高等乞食」で、もう一人の脊の低い、狐を使つておみくじを売つて廻る老人は、伏見神社の神官をくづれて来たと云つて、位階さへあるのだと自慢してゐた。
 大晦日は近かつた。私は自分の家へ引きあげねばならないと重つ苦しい義務を感じつつ、そして、けふこそは帰らうと朝毎に決心し、夜になると、もう晩《おそ》いから、あすこそは早くなぞと、だらしなく考へが変つて、ぐづぐづしてゐた。これでは涯《はて》しない話で、結局は三十一日も来て、除夜の鐘でも聞いてからになるのではないかと危ぶまれた。いや、心の裏はさうと決めかかつてゐたのかも知れない。
 所持金は、昨夜どやせん[#「どやせん」に傍点]を支払つて了ふと、皆無になつてゐた。けふは仕方がないから、友だちの家へでも行つて借金でもするとしようと肚《はら》を決めてゐたが、薄い蒲団ながら、床から出るのが寒いので、首も手足もちぢめ、隙間風を恐れてじつと身動きもしないでゐた。
 朝早く出かけて行く他の部屋は、しいんと静かで、そろそろ宿の婆さんが掃除にかかる様子であつた。それなのに、この部屋だけは、誰も朝から用事がないので起きようとはしなかつた。
 またうつらうつら仮睡が襲つて来る。私はその快《こころよ》さに身を委《まか》せてゐたが、ぐうつと腹がなつたのには、自分で驚いて、眼をさました。腹がへつて来たのだ。苦笑すると、また、こんどはもつと大きく鳴つた。
 ――飢ゑか、飢ゑ来りなば死遠からじか。
 そんな莫迦気たことをぼんやりした頭で嘯《うそぶ》いてゐるのも、まだ十分眠りから、自分を取り戻してゐないからであつた。
 ――ハングリ、ハンガー、ハンガリアン、……ハンガリアンて言葉はないかな、待て待て、ハンガリアン・ラプソディと云ふではないか、飢ゑたるものの狂ひ歌と云ふところかな。
「――どうしたんだね、いやに、腹が鳴つてゐるぢやないか。こちらまで響いて来るが、……腹工合でも悪いんぢやないかね」
 突然、隣りの「高等乞食」が声をかけたので、私ははつとして、はつきりと眼をさました。
 この男の横柄《わうへい》な口癖を、私はあまり好いてゐなかつたので、返事もしずに、黙つて寝た振りを続けてゐた。
「――ははは、……腹が空いてゐるんぢやないかね、……我輩がひとつ、欠食児童救済事業を起すかね」
 と、つづけて、「高等乞食」は機嫌よく云ふのであつた。彼が上機嫌なのは、きのふで「正月の用意」が出来たからであつた。
 これも、嘘か本当か、かなり疑はしいが、彼は昭和のはじめまで生きてゐた有名な政党政治家の息子だと自称してゐた。その父親の死後、莫大な借財に苦しめられて、学校も中途でよさなければならなかつた彼は、すつかり荒《すさ》んで、不良少年になつたりした揚句《あげく》、ここまで落ちて来たと云ふ。昔、親父の世話になつたやつらで、時めいてゐたのも、難渋してゐる一家に報恩の手を差しのべるどころか、却つて、少しばかりの貸し金をうるさく取り立てようとしたりした。病身であつた母親は、その真唯中に死んで了ひ、唯一人の姉は今病んでゐるとのことだ。
「――我輩の女房も、やはり病身なので、別居してゐるが、……いや、二人に療養費を送金してやらねばならないので、高等乞食もなかなか骨が折れるよ」
 それが政治家めいた笑ひ方であらう、彼は稍々《やや》細い身体を反り身になつて豪放に笑ふのだが、途中で咳《せ》いて、苦しさうに身体を曲げたりした。姉や女房の病気が、彼の表現によれば、金を食ふ肺結核ださうだが、彼も明かに胸をやられてゐた。咳をするのはそのせゐで、しかし、彼はそれをも気取るためのきつかけにしてゐた。
 高等乞食と云ふのは、死んだ父親の縁故のある政党員のみならず、あらゆる政治家、有名な官吏、実業家、俳優あるひは会社を訪れて、多少の無心をするのであつた。中には定期的にくれるやうになつてゐる位、顔を売つたと自慢してゐるが、
「――なアに、度々顔を出しては、何のかのと出鱈目の口実で小うるさく小遣銭をせびるんだが、……うるさいと感じさせるのが、こちらの附け目でね、少しやつて早く帰して了はうと、さう思はせるところが、こつ[#「こつ」に傍点]なんだよ」
 と、私に述懐したことがある。そして、
「――暴力や脅喝《けふかつ》はいかんよ、絶対にいかん、……それは方面がちがふんだし、警察がうるさいからね、……個人で仕事をするなら、我輩の、柔よく剛を制す流でなくては、……」
 力も度胸もなささうな彼の、もつともな云分であつた。
 別に大して眼新しい方法でもなささうだが、彼は自信たつぷりで実行してゐた。しかし、それで自分も毎日を食つて行き、女房と姉にどれほどの額でもあれ、療養費の仕送りをしてゐるとすれば、自慢していいのかも知れない。
 身装《みなり》が資本だからと、彼は黒の背広に白のワイシャツ、縞ズボンを、ちやんとはいて出かけるのが常であつた。大言壮語する風体《ふうてい》に似ず、女性的な面も多分にあつて、自分でその洋服の手入れもすれば、肌着なぞの洗濯もしよつちゆうしていつも小綺麗なものを身体につけてゐた。その身体も、この寒空に裸になつては、ごしごし拭いてばかりゐた。叮嚀に剃刀《かみそり》のあてられた顔も、石鹸でよく洗ふらしく、痩せた頬が不自然な赤味を帯びて、つるつる光つてゐた。……
 私がやつと湿つぽい蒲団から首を出すと、「高等乞食」は、その顴骨《くわんこつ》が突出た顔を私とおみくじ屋とへかはるがはる向けて、
「――どうだね、けふは、我輩が二人に飯をおごらう、幸ひ、軍資金はたつぷりあるから、安心してついて来給へ」
 彼はきのふ、女房と姉に、新年の小遣をも加へた今月の送金を終つたのだ。その残りが十分あるので、私たちに御馳走しようと云ふのであらう。
「――そら、ほんまに結構な、ありがたいこつちやア、なア、あんた、……」
 と、あちらの障子の方に臥《ね》てゐた老人はいかにもほくほくとして、私に呼びかけた。
「――折角、あない云うてくれはるんやさかい、一しよに御馳走にならうやおまへんか」
「――ははは、さうし給へ、腹をならしてるなぞ、見つともない、……出かける前に、ちよつと待つてくれ給へ」
「高等乞食」は、蒲団から飛び出ると、れいによつて洗面所へ身体を拭きに行つた。
「――あの方、お若いのに、なかなかよう出来たお人だすなア、――遠いところにゐる病人にちやんとする云うても、なかなか出来たこつちやおまへん、……偉いもんや」
 狐つかひのおみくじ屋は、感心したやうに、丸い短い首を振つた。それから、声をひそめて、
「――あの調子やと、もう、お金もたんと貯めてやはりますで、……」
 やがて、噂をされてゐる「高等乞食」は、えいつえいつと、頼りなく細い手足を小学生の体操みたいに屈伸させながら、戻つて来て、彼の正装に着かへるのだつた。
 ズボンは正しく折目をつけて、蒲団の下に敷いてある。それを取り出して、蒲団は、私の足もとを踏み越えて、小さな窓に乾すのであつた。
「――曇つてゐるな、雪空だ、これでは日光消毒にならんかね」
 と、独り言を云つて、
「――どら、出かけようぢやないか、……おい、天下の怠け者、起き給へ」
 彼は私の蒲団を剥ぎとつた。
「――なんだ、こんな関取みたいないい身体をしてをつて、働きに出ようともせん、……我輩がひとつ、どこか職を世話してやらうかね、……それにも及ばんかな、景気のいい軍需品工場なら、どこだつて、歓迎するだらう、……」
 私はにやにや笑つていた。
 老人は障子の外の、廊下の片隅に置いてある檻《をり》の狐に合掌して何か云つてゐた。よく聞くと、
「――ほんなら、これから、ちよつと外へやらして貰ひます、お狐さま、……暫く、御辛抱下さりませ」
 薄暗い中に、狐の光る眼が見えた。特有のたまらない悪臭が、廊下に一ぱい流れてゐた。
「――さア、出かけよう、君は、何が食ひたい、……さうだね、あまり贅沢なものはいかん、口がおごつて、癖になるからね、お稲荷さん、君は酒好きだから、先づ一ぱいはじめようか」
 元気よくしやべり立てる「高等乞食」のうしろから、我々はついて行つた。
 宿の主人は、帳場で、宿帳の整理をしてゐたが、老眼鏡越しに、珍しく揃つて出て行く三人を不審さうに眺めてゐた。

 私は相変らず、にやにや笑つてゐた。さうして、何かごまかしてゐる表情より、仕方がなかつた。
 雪もよひの空は、暗澹として垂れさがつてゐた。人々はその下で、いかにも師走《しはす》らしく、動きまはつてゐるのだ。家々の表口には、すでに新春の飾物さへ見える。私は、ああ正月が来るのか、なぞとよそよそしく呟いて、沢山の人間にめでたい年を迎へさせねばならないのを、忘れてゐたかのように装つてみる。
 何々食堂とか何々酒場とか云ふ、田舎訛《ゐなかなま》りの小女が註文された品を甲高《かんだか》い声で叫ぶ大衆的な店を飲み歩いて、三人は相当に酔払つてゐた。午前中からの、それもあまり性《たち》のよくない酒は、頭の皮と脳の間にたまつて、不快な限りであつた。狐つかひの老人は、悪酔ひして青くなり、足と腰をとられて椅子から倒れさうになつてゐるのに、尚も意地汚く口を尖らせて酒を吸ひ込むやうにしながら、盃を手離さなかつた。「高等乞食」に、見えすいたお世辞を使ひ、不自由さうな歯で、あれこれと食ひ物を云つては、もぐもぐ噛んでゐた
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