拘《かかは》らず、何かの都合で、一日二日入れずにゐると、もう、あの浴後の全身がさつぱりと軽くなり、豊かにのびのびとしたありがたい感触を忘れて了つたかのやうになる。日が経つに従つて、級数的に入浴が面倒で億劫《おつくふ》になり、さては、爪垢がたまつて、肌はじとじとしはじめ、鼻わきから頤《あご》にかけててらてらと油は浮くし、目脂《めやに》はたまり放題、鼻糞は真黒にかたまつてゐる、身体を動かせば悪臭がにほつてるにちがひないのに、更に意に介しなくなるのだ。いや、時には、もつともつと身体を汚してみないかと、私《ひそ》かに自分にけしかけて、じつと蘚苔《こけ》のやうなものが、皮膚に厚くたまるのを楽しんでゐるかに見えたりする。
 私の歯のことを、読者は知つてゐるだらうか。上の前歯は二本は完全に根まで抜けて了つて、他の二本も殆ど蝕《むしば》まれて辛うじて存在をとどめてゐる。下の門歯も内側からがらん洞が出来て、いつまで保《も》つか分らない。奥歯に到つては、それ以上にひどい状態で、やられてゐない歯はほんの算へるほどだ。全部が駄目になるまでに自分が死ぬか、さうでなければ、総入歯をして不自由な念《おも》ひをしなけ
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