た危険感から、却つて、よろめいた足はその方へ引き寄せられるやうに、近づいて行くのだ。いけない、いけないと必死に自制しても、もう自分の足もとまらないし、疾走して来るものも、お互ひに引力を感じあつたやうにぐいと方向をこちらに定めて、猛然と飛びかかつて来る。……
「――さア、ここを引き上げよう」
「高等乞食」は、最初は遠慮がちであつたおみくじ屋の老人が、酒が廻つてからは次第に図々《づうづう》しくなり、いつまでもしつこく飲みたがつてゐるのに、しびれを切らして云つた。
「――まア、先生、政治家、……まだ、ええやないか、もうちよつとつきあひなはれ」
狐つかひは、皹《ひび》だらけの両手をあげて、彼を押しとめた。
「――駄目ぢやないか、さうだらしがなくては、……ぢやア、我輩たちは帰るから、君だけ残つてゐ給へ」
さう云はれては、悄然《せうぜん》と頭を垂れて、
「――いや、わても去《い》にます、――ひとりで飲んでても、面白いことあらへん」
立ち上つて、手近にある空の銚子を振つてみてから、さきに店を出るのであつた。
小さな雪になつてゐた。風に舞ひ、地上に落ちるとはかなく消えて行くのだが、老人は元気よく、雪の進軍、氷を踏んでと唄ひはじめた。泪橋《なみだばし》の改正道路をふらふらと横切つていく姿は、往来はげしい自動車や自転車のかげに隠れたり見えたりした。私は危いとは思ふものの、夢とはちがつて、さう大して気にかけずに、
「――ああ、戦争へ行きたい」
と、呟いた。こんな意味のない時を徒費してゐる間には、砲弾の下を銃を担いで進んで行きたかつた。そのことによつて、自分の陥つてゐる莫迦莫迦しく苦しみ甲斐のない泥沼から脱け出たかつた。そして、ひと思ひに死にたかつた。
「――なるほど、どうして、君は応召されないんだらう、不思議だね、我輩なぞの身体は全く役に立たないが、……」
私の眼に雪片が飛び込んだ。私は消えて了つたそれを掴み出さうとするかのやうに、がむしやらに指を突つこむのであつた。
大晦日も寒々と曇つてゐた。私は、「高等乞食」の計ひで、膝小僧を抱いて、ぼんやりと宿の一室に忍耐強く坐つてゐた。
いよいよ、最後の夕方が来た。
「――どうも、調子がいけない」
前々日の深酒や雪風の中を歩いたのが影響したのであらうか、「高等乞食」は、珍しく不精鬚《ぶしやうひげ》を延ばして、床についてゐた。熱
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