色にあけて行く京都の町を、運転手はいちいち名所に立ち寄つて説明してくれた。自分は真面目な顔つきで、なるほど、なるほどと聞いてゐた。清水寺の下で、下りて参詣なさいませんか、と革の帽子をかぶつた彼は云つた。
「――いいんだよ、ここからでもよく分る」
 自分は何かにてれて云つた。清水焼《きよみづやき》を売る陶器屋が寒さうに戸をあけてゐた。
「――こちらが帝大病院、こちらが三高です」
 熊野神社から北へ入つて、彼がさう指さして説明した時、自分は、嵯峨野へ走つてくれ、と命じた。死んだ女の墓が、あの寺院内にあるにちがひないと気づいたのだ。
 寺の門も屋根も霜に真白だ。本堂にも庫裡《くり》にも人影はない。自分は案内もなしに、づかづかと墓所へ入つて行つた。す枯れた雑草に、靴先は濡れて光つた。彼女の墓は、しかし、どれだか、数多くならんだ石碑のうちで判別出来なかつた。当惑して、外套のポケットに手を突込んで立つてゐると、急に咳きあげて来た。そして、そこの土の上に血痰を吐いて、思ひ切り踏みにじつた。……
「――肺病になつたら、わしらはどうするぞ」
 母親は枕もとで愚痴つてうるさかつた。兄はとつくに、さうだと決めて、彼一流の雄弁で自分に結核の薬を教へてくれた。新聞や雑誌に載つてゐる広告を丹念に切り抜いて来たのだ。これは何々博士だが、こちらは某博士だ。どちらがいいかは、自分の友人で帝大内科の医局にゐるのがゐるから、たづねて来てやらうと出かけて行つた。その前に彼はじつと考へてゐたが、こりやどうしても転地せにやならん、肺の療養地には、と指折り数へて名をあげたものだ。
「――こりや、どうしても転地して徹底的に治《なほ》さにや、他の者に伝染するからの」
 彼は得々として論じてゐた。それはさうだらう。その余裕も彼はあると思つてゐるのだらう。
 帰りの列車がつらかつたのだ。一昨々日と同じ特急で、京都東京間を、日帰りのやうに往復するのは、まるで大きな事業家のやうだと云ふ顔をしてゐた。が咽喉や肺の中がぢいぢいと虚《うつ》ろな音を立て、後頭部なぞは、他人のもののやうに無感覚になつてゐた。おまけに鼻汁ばかり流れ出て、汚ならしいつたらなかつた。自分は単なる風邪でなく、病気がいよいよいけなくなるのを、しいんと冴《さ》えかへつた心で自覚してゐた。家へついた時は、文字通り倒れるやうであつた。
「――どこをのんきに歩いてた
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