銭で売つてやるのであつた。

 小説家はその夜、難波で、新聞記者某氏に出逢ひ、釜ケ崎のはなしをすると、某氏は先日もこんなことがあつた、と語るのであつた。――夜更けて、あすこの側にある警察へ、女の行路病者が担込《かつぎこ》まれて来た、医者に見せると重い肋膜で、すでに手おくれになつてゐ、遂に死亡して了つたが、その次の日、彼女を扶《たす》けて連れて来た男が来て、一度面会させてくれと云ふので、すでに、こと切れたと云ふと、わつと男泣きに泣き、余りの愁嘆に、どうしてそんなに悲しむか怪しまれ、それでは何か知合のものででもあつたかとの訊問に対して、実は、それは彼の女房であつた、と告白したのである。彼は釜ケ崎の木賃宿に住んで磨き砂売りをやつてゐるが、もちろん、稼ぎは思ふやうには行かず、それに女房が病気になつて寝て了ひ、日に日に重ることが眼に見えつつも、施す手がなく医者も相手にしてくれず、瀕死の彼女は苦悶するし――遂に思ひ余つて、女房を行路病者にしたてたと云ふわけであつた。
 新聞記者某氏は「ルンペンの夫は悲し、と云ふ物語や、どや、小説にならんか」と云つた。
 小説家は狡猾《かうくわつ》に笑つて何とも答へ
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