したれ、なぞと云つて、女は少し上気し、両掌を頬にあてるのであつた。――風呂敷の中からは、仏壇の掛軸やら、浮浪者はそれについては「こら、真宗のもんには持つて来いや」と云つたが、道具屋はふんと鼻であしらひ、それから男物の着物、さらし木綿の肌襦袢、軍手なぞが出、最後に、使ひかけの石鹸や褐色のハトロン紙の封筒が十枚ばかり出た時には、無一物の浮浪者たちも――「こんなもんまで売らんならんとは、よくよくや」と、さすが低声で囁《ささや》きあつたのである。家にあるもの、金になると思はれるもの残らず、総ざらへして、女は持つて来たのであらう。――
 彼女が金を受取つて帰ると、道具屋はもう一度、今の品物を一つ一つ手に取つて調べてゐたが、満足して、それを、すぐ陳列するのであつた。それから、まだ立つてゐる小説家の方を、めがね越しに見て、少し考へた後、
「その傘はもういらん、けふは天気になる、どや、買うたろか」と、云つた。小説家は、この親爺がコーモリ傘だけを売れと云ひ、高歯の下駄のことについては言及しなかつたことに、雨はあがつたが、このあたりの深い泥濘を顧て、苦笑せざるを得なかつた。何か返事をしてやらうとした時に、
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