銭は天引、手取は九十銭であるが、その後一円の五歩の利息を加へて、八日間に返済しなければならぬ)彼女はしかたなく、片隅に積んであつた小便臭い家族たちの蒲団を頭にかついで外へ出て行くと、その頃流通してゐた十銭紙幣の油じみたのを持つて帰つて来たが、その夜の明け方の寒さやら、或はぐうたらな遊び好きの少年であつた彼が、尾上松之助の侠客物が見たくて、彼女に嘘をつき金をねだり、すると彼女はまた思ひ余つて、巻いてゐた帯を解いて絣《かすり》の前掛だけになり――帯は彼の入場料になつて、彼は活動写真に感激した余り、二階の上りつぱなの壁に、墨で以て、眇眼《すがめ》の尾上松之助の似顔絵を大きく書いたり――
妙なもので、遠い以前の習慣を、足は忘れずにゐて思ひ出したものか、無意識にふと立ちどまり、そこで小説家がはつとして眼を転じるならば、ちやうど彼が生れて育つた家の、路地先まで来てゐるのであつた。雨にベタベタに濡れて光る浪花節《なにはぶし》のポスターが、床屋の表にぶらさがつてゐるが、その横を折れて二軒目がさうである。――この床屋も代が変つたであらう、彼はいつも小僧のために「虎刈」にされてゐた。今夜はもはや客がない
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