ホース」に行きついてからは――大戸をガラリとあけて女装が帳場に坐つてゐるキナ臭い中年の男に「頼んまつせ」と申入れた時も、うしろについて彼はぺこぺこと頭をさげたし、また広い階段の途中ですれちがひ、彼(女)から、「今晩は」と、呼びかけた、赤い顔に髭《ひげ》を蓄へた、しかし、口のあたりに何やら卑しい腫物《はれもの》の出てゐる、袴をはいた男にも、外套は腰を折らんばかりにお辞儀するのであつた。その袴の男を、あれが、弁護士だす、と女装は云つてきかせた。――
 彼(女)の部屋では、浮浪者は益々小さくなつて隅の方に坐り、しきりとボタンのない破れ外套の前を合せ、巻いた藁縄をはづかしさうに触つて見るのである。そしてすでに寝てゐる弟や(なるほどその髪の毛は最近に散切《ざんぎ》りにされたあとがあつたが、少し延びかかつてゐ、ちやんと女風の長襦袢の肩を見せて眠り、日頃のたしなみを見せてゐた)また母親に(彼女は二人の外来者を無言のままじろじろと観察した)――突然夜半に訪れたことを、幾度も繰りかへして謝するのであつた。――
 それほどだつたから、朝になり、みんなが眼ざめた時、すでに遠慮深い彼の姿は消えて、見られなかつ
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