はほんまにうまい」とほめて、そんな店を潰すに忍びないと云ふやうな顔をした。
 話が終ると、突然、外套は「おほきに、御馳走さん」と云ふなり、眠つた低い家々の間を、そこには雨の中に傘をさして淫売婦たちが辻々に立つてゐるのであつたが――駈出したのである。
「待て!」と、小説家は呶鳴つた。寝るところがあるか、と心配したのである。
「今夜は、腹も張つたし、酒ものんで、ええ塩梅《あんばい》やよつてに、その勢ひで野宿《でんでん》する」と、相手は答へ、尚も走りつづけようとした。
「待て!」と再び小説家は云つて、幸ひこの「女」がすすめるから、一しよに第二愛知屋に泊らう、と誘ふのであつた。
 すると、不思議なことが起つた。――今まで、いやに辛く女装に当つてゐた外套は急に叮嚀な言葉づかひになり、「姉ちやん、えらいすんまへんな、屋根代もなしに、厄介になつたりしまして」と挨拶するのである。――思ふに彼は彼の逃げた細君以来、女にはよからぬ感情を抱いてゐたので、自然、女装に対しても冷かな態度を取つてゐたが、今は彼(女)は部屋主《まどもち》になつたので、その点から礼儀をつくしたのである。
 その証拠には、彼が彼女の「
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