と、語り出した。――彼らはどんなに空き腹を抱へてゐても、人にめしを食はせてくれ、とは云へないのであつた。何故ならば、誰も彼も自分だけが食ふのが精一ぱいで余裕は更にないので、しかも頼まれたら、すぐに足りないものも半分は分けてやらねばならず、――だから、そんな人の予定を狂はし迷惑かけるやうな依頼心を起すのは道徳的ではないと、されてゐる。そして、もしも誰かが景気よくて(景気よくて!)すつかり気が大きくなり、おい、酒のませたろかと誘はれた時にも「酒の代りに飯をおごつてくれ」とは云へないものだ、と外套はしみじみ述懐した。それは一つには、虚栄心もあつたし、また折角相手が酒で愉快になつてゐる気分をぶちこはすに忍びないからであつた。だから、今夜のやうに酒だけで腹をこしらへてゐる時もある!
「兄貴、酒おごらんか、は云へます、そやけど、云へまつか、めし一ぱい頼むとは」と彼が云へば、夜更けの酔払ひたちは口々に、「さうは云へん、云へんもんぢや」と、首を振るのであつた。――小説家は、そこに浮浪者につきものの、さやうな貴族精神を見て、悲しく思ひ――さう云ふはなしを俺にするからには、俺にめしをねだつてゐるのだらう、
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