逃げ出した。
「堀田君、堀田君!」
 兵野は、吃驚りして叫んだが、見る間に堀田は生垣づたひに走り出してしまつた。曲り角で、ちよつと振り向いたかとおもふと、堀田は、ワツと泣き出したに違ひない格構で、顔を両手で覆ふやいなや、姿は、蝙蝠のやうに消え去つた。
 追ひかけようと試みたが兵野の脚は、自由にならず、そのまゝ彼は地べたに転げてしまつた。――兵野には、何故そんなに慌てゝ堀田が逃げ出して行つたか、腑に落ちなかつた。
 ――翌晩彼は、居酒屋へ赴いて堀田の来るのを待つたが、十二時が過ぎ、一時になつても、遂々堀田は姿を見せなかつた。店の片隅に、獅子頭のついたステツキが立てかけてあるのを娘が指差して、
「あれは、堀田さんがうちのお父さんに下すつたんですよ。お父さんが病院へ通ふ時竹の杖を突いて行くのを堀田さんが御覧になつて、俺が好いステツキを持つてゐるから、そいつをやらうつて……」
 などゝ話したが、兵野は、落ついて聞く予猶もなく、
「堀田に会ひたい、堀田に会ひたい。」
 と繰り返しながら、泣き出しさうに顔を歪めた。そして、
「お君ちやん、僕も淋しいよ。」
 と兵野は、笛に似た声で呟いた。




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